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華麗なる追跡

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『華麗なる追跡』(かれいなるついせき)は、1975年4月26日に公開された日本のアクション映画[2][3][4][5][6]。監督は鈴木則文[3][7][8]、主演は志穂美悦子[3][9][10]。

脚本 掛札昌裕・金子武郎
概要 華麗なる追跡, 監督 ...
華麗なる追跡
監督 鈴木則文
脚本 掛札昌裕・金子武郎
出演者
音楽 八木正生
撮影 山沢義一
編集 戸田健夫
製作会社 東映東京撮影所[1]
配給 東映[1]
公開 日本の旗 1975年4月26日
上映時間 83分
製作国 日本の旗 日本
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麻薬売春組織に殺害された父の恨みをはらすため、JESO(東南アジア特別調査機構)の捜査官になった矢代忍(志穂美悦子)が、カーレーサーや青年紳士、貴婦人、尼僧、老婆、せむし男、OLに変装し、麻薬ルートを追って華麗なる追跡を見せる[4][10][11][12][13]。

キャスト

スタッフ

  • 監督:鈴木則文
  • 脚本:掛札昌裕・金子武郎
  • 企画:吉峰甲子夫・高村賢治
  • 撮影:山沢義一
  • 美術:北川弘
  • 音楽:八木正生
  • 録音:内田陽造
  • 照明:大野忠三郎
  • 編集:戸田健夫
  • 助監督:澤井信一郎

製作

企画

企画は岡田茂東映社長[9]。岡田が志穂美悦子に「女性版多羅尾伴内の七変化をやるから、やりたいアクションある?」と聞いたため[9]、志穂美は「ヘリコプターにぶら下がりたいです」や「何10メートルも爆薬が破裂する中を走りたいです」などの要望を出し、それが了承された[9]。岡田は多羅尾伴内が好きで、1978年にも小林旭主演で多羅尾伴内をリメイクしている(多羅尾伴内 (小林旭版))[14][15]。監督の鈴木則文も「企画の段階で七変化でいこうということだった。空手もの(カラテ映画)も少し頭打ちみたいなところがあったから、演技ものということで考えた」などと述べている[8][16]。岡田は1974年に自身の企画『女必殺拳』で売り出した千葉真一の秘蔵っ子・志穂美悦子の[4][17]人気が爆発したことから[18][19][20][21]「女必殺拳シリーズ」としてシリーズ化させ[4][17]、1976年の『女必殺五段拳』まで志穂美主演で四本のカラテ映画を製作させたが[4][17]、この間に志穂美をもっとオシャレでスマートなアクションで売ろうとし[18]、志穂美主演でカラテ映画とは別枠のアクション映画として1975年に『若い貴族たち 13階段のマキ』と本作の二本の映画が製作させた[4][18]。

1974年7月に公開された西城秀樹主演、早乙女愛をヒロインに抜擢した松竹『愛と誠』と1975年の東宝の正月映画、山口百恵主演の『伊豆の踊子』の大ヒットにより[22]、邦画各社は1975年の年間ラインナップにアイドル映画を多数組み込んだ[20][22][23]。それまで日本の映画界は10代の観客を軽視していた[20]。1975年2月19日に東映本社で岡田社長が、上半期の東映ラインナップと製作方針を発表し、その一つとして「少年少女雑誌掲載のものを中心にファッション性を帯びたものを製作し、中・高生層を狙う」などと述べ[24][25]、ファッション性を帯びたものが、つまりカッコいい映画で[18]、これで志穂美を売り出し、シリーズ化させる計画だった[18]。志穂美のファンクラブ結成イベントに800人が集結したことから[20]、それまで極端な男性路線を敷いていた岡田も「今後は女性路線も力を入れる」と"悦チャン"を押し立てる青春大攻勢をかけることに決めた[18][20]。岡田は志穂美を藤純子(富司純子)の後継者として育てたいという意向を持っており[25]、志穂美を中心とした製作方針を指示していた[25]。1975年4月7日に同じく東映本社であった会見で岡田が「今後は、二本立てのうち一本は19歳以下の若い層むきの映画を作り、若い世代のスター、ファンを育てていきたいと考えている」などと述べた[20][26]。本作はその方針に沿った作品となる[20][26]。志穂美のカラテ映画を含めて、千葉真一らの一連のアクション映画はどぎついシーンも多かったが[20]、本作で志穂美が演じる主人公には不良少女の雰囲気は微塵もなく、成人向けのエロチックでどぎついシーンもない[20]。

キャスティング

『近代映画』1975年7月号の本作紹介では志穂美を「空手アクション・ガール」と[11]、『サンケイスポーツ』1975年3月14日付では志穂美を「女ブルース・リー」と紹介している[12]。『映画時報』1975年2月号の東映幹部の対談で、登石雋一東映取締役・企画製作部長が志穂美を「日本映画史上では初めての女性アクションスターでしょう」と述べている[25]。

当時、人気上昇中だった[12]女子プロレスラー・マッハ文朱が出演しているのは、本作の後に志穂美とマッハ文朱の共演による女子プロレスもの(題名は『花を咲かそう』[8]、或いは『マッハ旋風・必殺空中蹴り』[27])の製作予定があったためで[8][28]、この年7月5日公開の『新幹線大爆破』との併映が予定されていた[28]。しかしマッハが脚を折り、中止になった[8](併映は『ずうとるび 前進!前進!大前進!!』に変更)。悪役ぶりが異様な天津敏のキャラは鈴木監督のナチス趣味を反映させた[8][16]。熊のぬいぐるみを着た天津に犯される[16][29]青木凪子役の大森不二香は、ショックを受け、女優を辞めたと伝えられる[8][16]。

撮影

1975年3月17日、東映東京撮影所でクランクイン[12]。志穂美は「ヘリコプターにぶら下がりたい」と頼んだが、静岡県伊豆長岡町(現伊豆の国市)伊豆長岡エイトランドのロープウェイ[1]での格闘シーンになった[9][30]。撮影は1975年4月14日[30]。200メートル下は渓谷で命綱を腕から服に通して実際にぶら下がった[9]。当時、日本一高いビルは西新宿の新宿三井ビルディングで[30]、55階建てで高さ223メートルだった[30]。鈴木監督もあまりの高さに「やめようか」と言ったが、志穂美は「やります。大丈夫」と答えた[30]。撮影終了後、車内に引き上げられたときにはさすがに志穂美の顔も引きつっていた[30]。志穂美は「本当の命懸けのアクションがやりたくて、私から申し出ました。女の子でもやれば出来るという証明が出来てうれしい」と話した[30]。爆薬の大破裂は希望通り実現し、映画のロケでよく使われる青梅市の石切り場で撮影が行われた[9]。志穂美はテレビドラマ『ザ★ゴリラ7』の撮影と掛け持ちで[9]、『ザ★ゴリラ7』の撮影中の練習でロンダートに失敗し[9][31]、右膝の十字靭帯断絶、内側側副靱帯の大怪我を負った[9][31]。手術すると6カ月動けなくなると診断されたため、3日間の撮影休止の間、ハリ治療に通い、今のようにテーピングはないため、自転車用のゴムチューブを膝に巻いて足を固定し、先の爆破シーンの撮影を行った[9][31][32]。志穂美も本作をとても気に入っていると話し[9]、また「自分が子どもの頃から夢に描いていたことが実現して、主演映画を用意して頂けた時代と、東映に感謝しかない。その後はそんな時代はないので。自らアクションをやる必要もないし、CGもあるし、カラテ映画ブームが来た時代とか、本当に感謝です」などと述べている[9]。

宣伝・興行

本作は菅原文太主演の『県警対組織暴力』との東映二本立てで1975年のゴールデンウィークに公開された[20]。他社は東宝が山口百恵主演の『潮騒』と和田アキ子主演の『お姐ちゃんお手やわらかに』、松竹が桜田淳子主演の『スプーン一杯の幸せ』と中村雅俊・檀ふみ出演の『想い出のかたすみに』で、邦画界はほぼアイドル映画一色に染められた[20][33][34]。一部のメディアには「百恵ちゃん、淳子ちゃん、悦ちゃんの三ちゃん・女の闘い」とも書かれ[20]、本作上映中には「悦ちゃん、悦ちゃん」の大唱和が起きた[20]。また短期間に大量の志穂美に捧げるミニコミ誌が出た[20]。

作品の評価

批評

  • 磯田勉は「カラテ映画の枠を超えて、活劇の面白さをとことんまで試みた。この映画はスタントなしで危険なアクションの数々に挑む志穂美の肉体の説得力に尽きる。異形の悪との対比が際立つほど、何ものにも染まらない白さで彼女はくっきりと屹立する。性を封じ込めたお竜や性を武器に戦ったスケバンたちが今、純粋に戦うヒロインとして転生した」などと評している[13]。

影響

ソフト

同時上映

脚注

外部リンク

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