薩摩硫黄島のメンドン
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薩摩硫黄島のメンドンは、鹿児島県の三島村硫黄島地区で行われる「八朔太鼓踊り」において、仮面をつけ藁の衣装をまとって現れる来訪神を指す。国の重要無形民俗文化財および、「来訪神:仮面・仮装の神々」の一つとして国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されている。
この行事は、夏から秋へと移り変わる節目に神が訪れ、地域と人々の災厄を祓い、あわせて福を授けるものとして行われてきた。南西諸島には類似の行事が広く分布しているが、なかでも薩摩硫黄島のメンドンは日本における民間信仰や神観念のあり方をよく示しており、種子島・屋久島地方に伝わる来訪神行事の典型例として重要な位置を占めている[1]。
硫黄島の「八朔太鼓踊り」は、この島における盆踊り、九月踊りと並ぶ三大芸能の一つであり、毎年旧暦8月1日と2日に熊野神社へ奉納される行事である[2]。歌い手は鉦を手に歌をうたい、踊り手はその節に合わせて舞を披露する。
踊りは二日間にわたって行われ、初日の演目が一通り終わる頃になると、異形の面をつけた一体のメンドンが熊野神社の境内から現れる。メンドンは踊り手の周囲を三周し、特に何もせず境内に戻っていく。これを一番メンという。これが終わるとに次第に何体ものメンドンが走り現れ、飲食中の見物人を追い回したり、踊りの邪魔をしたり、「スッベン木」や「スッベ」と呼ばれる神木で頭を叩いて人々の厄を払う。メンドンは3日目の未明まで島内を自由に徘徊してよいことになっており、踊りの終了後もメンドンは夜遅くまで集落内を駆け回り、家に押し入って女性や子どもを驚かせることもある[3]。
2日目には「叩き出し」と呼ばれる行事が行われる。これは踊り手たちが島中を巡った後に、島中の悪霊を海へと追い払う儀式であるが、この際にメンドンは隊列の先頭に立って進む。最後に神社へ戻り、締めの踊りが奉納され、行事が終了する[4]。
メンドンは身体にカヤや藁の蓑をまとい、手を手袋で覆って素性を隠す姿で登場する。仮面(メン)を身に着けるのは、制作を担当した14歳の男児に限らず、八朔踊りに出演しない若者や大人が入る場合もある[5]。慣習としてメンドンは「天下御免」とされ、その行動に逆らうことは許されない。また、メンドンに声をかけたり、仮面の中に入っている人物の正体を詮索したりすることも固く禁じられている[3]。
仮面について
メンドンの仮面(メン)は、島における元服にあたる14歳の男児の家で制作される。14歳の少年自身が祖父や父親の手伝いを受けながら1・2か月かけて仮面を作る。仮面はテゴと呼ばれる農作業用の背負籠を利用して制作される。籠の底を切り、藁で縁をつけて視界を確保し、小さく割った大名竹を用いて耳、鼻、目、眉、一本角(ケン)を形作り、紙を重ね貼りする。仕上げは墨を塗り黒の下地とし、市販の赤の塗料で渦巻きや格子の文様を描きいれる。
かつては船底の防腐剤であるチャンを用いてメンを黒く染め、その上から砕いたレンガや鉄さびで作った赤い絵具を着色していた。こうして制作されたメンは、8月1日当日の朝にチグサを載せて神社の前に奉納される[6][7]。