大日堂舞楽
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718年(養老2年)大日堂再建の際、都から下向した楽人により里人に伝えられたものと言われる[1][2]。大日堂については、大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している[1][2]。四集落の能衆による「神子舞」「神名手舞」、小豆沢の「権現舞」「田楽舞」、大里の「駒舞」「鳥舞」「工匠舞」、長嶺の「烏遍舞」、谷内の「五大尊舞」の合計9演目が伝承されている[2]。
奉納当日、谷内・長嶺の人々は表参道、大里・小豆沢の人々は裏参道から境内に入り、修祓、地蔵舞、幡綜が行われる[1]。続いて、堂の正面で花舞(神子舞、神名手舞、権現舞)が舞われる。その後、各地区の竜神幡が堂内に入り、幡上げが行われる。この後、能衆が堂内に入り、全員で神子舞と神名手舞を舞う[1]。やがて、大里・小豆沢の舞台元が舞台に上がり、大小行事(唱辞を言い、銭と米をまき舞台を浄める)が行われ、法印の儀と祝詞を奏上して本舞に入る[1]。開催時間はおおむね午前8時から12時までである[1]。
