藤原光範
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久寿元年(1154年)姝子内親王の蔵人に補せられ、同年12月に文章得業生となる。久寿3年(1156年)対策に及第し、保元元年(1156年)式部少丞、保元3年(1158年)正月式部大丞、同年5月六位蔵人に任官され、8月に巡爵により叙爵。
その後、献策により長寛2年(1162年) 従五位上、嘉応2年(1170年) 正五位下、承安5年(1175年)従四位下、安元3年(1177年)従四位上と昇進。治承2年(1178年)には東宮・言仁親王の東宮学士に補せられた。治承4年(1180年)言仁親王が践祚(安徳天皇)すると東宮学士の功労により正四位下に叙せられる。元暦2年(1185年)前任者・藤原俊経の出家により式部大輔となる。文治3年(1187年)には後鳥羽天皇の御侍読を務めた。建久4年(1193年)従三位に叙せられ公卿に列する。建久9年(1198年)正三位。元久2年(1205年)従二位に昇進する一方で20年務めた式部大輔を辞する。建永2年(1207年)民部卿に任ぜられる。承元3年(1209年)出家。その後の消息は不明だが、同年11月1日に子の頼範が光範の喪に服している[1]ため、年内に亡くなったと推定される。
官歴
『公卿補任』による
- 仁平3年(1153年) 5月27日:給穀倉院学問料
- 久寿元年(1154年) 10月27日:姝子内親王蔵人。12月24日:文章得業生
- 久寿2年(1155年) 正月28日:越中少掾
- 保元元年(1156年) 11月28日:式部少丞
- 保元3年(1158年) 正月27日:転式部大丞。5月24日:蔵人。8月1日:叙爵(従五位下)
- 長寛2年(1162年) 正月5日:従五位上
- 長寛3年(1163年) 正月22日:式部権少輔
- 仁安2年(1167年) 2月8日:大内記
- 嘉応元年(1169年) 正月11日:兼因幡権介
- 嘉応2年(1170年) 正月5日:正五位下
- 承安3年(1173年) 正月5日:従四位下
- 承安4年(1174年) 4月26日:遷文章博士
- 承安5年(1175年) 正月5日:従四位下。正月22日:兼美作権介
- 安元3年(1177年) 正月24日:従四位上
- 治承2年(1178年) 12月15日:東宮学士
- 治承3年(1179年) 正月19日:兼美濃介
- 治承4年(1180年) 4月21日:正四位下
- 元暦2年(1185年) 6月10日:式部大輔
- 文治2年(1186年) 2月30日:安芸権守
- 文治3年(1187年) 2月19日:侍読
- 建久4年(1193年) 正月28日:従三位、非参議
- 建久9年(1198年) 12月9日:正三位
- 元久2年(1205年) 4月10日:従二位
- 建永2年(1207年) 4月10日:民部卿
- 承元3年(1209年) 2月2日:出家。11月1日頃:薨去(享年84)