藤原能季 (刑部大輔)
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二条朝の応保2年(1162年)叙爵。当初は保能(やすよし)と名乗った。叙爵から20年近く散位と昇進に恵まれず、養和元年(1181年)兵部権大輔に任ぜられるも、文治4年(1188年)に権大輔を辞してからは再び散位の時期が続く。なお、この頃に能季(よしすえ)と改名する。
建久6年(1195年)伊予守に任ぜられ、建仁2年(1202年)讃岐守と後鳥羽朝では地方官を歴任した。建暦元年(1211年)九条立子の中宮冊立に伴い中宮亮に任ぜられ、同年2月には立子の立后により従三位に叙せられ、公卿に列する。しかし、その後は再び散位のまま昇進に恵まれず、安貞2年(1228年)に75歳で出家、法名は浄安。出家後の消息は不明。