藤原能季 (刑部大輔)

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時代 平安時代後期-鎌倉時代中期
生誕 久寿元年(1154年
死没 安貞2年(1228年)以降
改名 保能→能季→浄安(法名)
 
藤原 能季
時代 平安時代後期-鎌倉時代中期
生誕 久寿元年(1154年
死没 安貞2年(1228年)以降
改名 保能→能季→浄安(法名)
官位 従三位中宮亮
主君 二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇
氏族 藤原北家楊梅流
父母 父:藤原季行、母:藤原宗能の娘
兄弟 能季重季定能
養子:能忠源定忠の子)
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藤原 能季(ふじわら の よしすえ)は、平安時代後期から鎌倉時代中期にかけての公卿藤原北家楊梅流従三位藤原季行の長男。官位従三位中宮亮。初名は保能(やすよし)。法名は浄安

二条朝応保2年(1162年叙爵。当初は保能(やすよし)と名乗った。叙爵から20年近く散位と昇進に恵まれず、養和元年(1181年兵部権大輔に任ぜられるも、文治4年(1188年)に権大輔を辞してからは再び散位の時期が続く。なお、この頃に能季(よしすえ)と改名する。

建久6年(1195年伊予守に任ぜられ、建仁2年(1202年讃岐守後鳥羽朝では地方官を歴任した。建暦元年(1211年九条立子中宮冊立に伴い中宮亮に任ぜられ、同年2月には立子の立后により従三位に叙せられ、公卿に列する。しかし、その後は再び散位のまま昇進に恵まれず、安貞2年(1228年)に75歳で出家、法名は浄安。出家後の消息は不明。

官歴

系譜

脚注

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