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三条実重

鎌倉時代中期~後期の公卿。従一位、太政大臣。勅撰集『新後撰和歌集』以下に56首入集。三条家7代。 From Wikipedia, the free encyclopedia

三条 実重(さんじょう さねしげ、正元元年〈1259年〉 - 嘉暦4年6月26日〈1329年7月23日〉)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿。内大臣・三条公親の次男。官位は従一位・太政大臣。三条家7代。三条入道相国と号す。

時代 鎌倉時代中期 - 後期
生誕 正元元年(1259年)
改名 実重→覚空(法名)
概要 凡例三条 実重, 時代 ...
 
三条 実重
『天子摂関御影』実重公
時代 鎌倉時代中期 - 後期
生誕 正元元年(1259年)
死没 嘉暦4年6月26日(1329年7月23日)
改名 実重→覚空(法名)
別名 三条入道相国、三条入道前太政大臣
官位 従一位、太政大臣
主君 亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇→後二条天皇→花園天皇→後醍醐天皇
氏族 三条家
父母 父:三条公親、母:洞院実雄の娘
兄弟 実重、房子、久明親王宮人、御匣殿、源彦仁室
養兄弟:喜子[1]
妻 正室:中院通成の娘
妻:洞院公守の娘
妾:家女房
子 公茂、実忠
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経歴

文応元年(1260年)叙爵。侍従・甲斐権介・左近衛中将を経て、文永11年(1274年)従三位に任ぜられ、公卿に列する。

弘安7年(1284年)参議を経ずに権中納言に任ぜられる。正応4年(1291年)右近衛大将を兼ねる。

正応5年(1292年)左近衛大将に転じ、内大臣に任ぜられる。この年は西園寺公衡が更迭されたことにより、近衛大将の人事に混乱が生じた。当初は左大将に花山院家教が、右大将に公衡が任じられた。しかし閏6月16日に公衡が更迭されたために、先に右大将を止められていた三条実重は改めて左大将に、左大将に任じられていた家教は右大将にということになった。だが、実重は12月に左大将を止められて左大将の後任には権大納言久我通雄が任じられ、左大将に通雄、右大将に家教という体制で永仁5年(1297年)まで続くことになった。

永仁元年(1293年)内大臣を辞し、正安2年(1300年)従一位に昇叙。文保2年(1318年)太政大臣となる。

元応元年(1319年)太政大臣を辞し、元応2年(1320年)出家。嘉暦4年(1329年)薨去、享年71。

人物

『新後撰和歌集』以下の勅撰集に50首が入集する。文保・嘉元・正中等の和歌百首を献上した。私家集に『三条相国御百首』がある。

官歴

『公卿補任』による

系譜

脚注

参考文献

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