三条実重
鎌倉時代中期~後期の公卿。従一位、太政大臣。勅撰集『新後撰和歌集』以下に56首入集。三条家7代。
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経歴
文応元年(1260年)叙爵。侍従・甲斐権介・左近衛中将を経て、文永11年(1274年)従三位に任ぜられ、公卿に列する。
弘安7年(1284年)参議を経ずに権中納言に任ぜられる。正応4年(1291年)右近衛大将を兼ねる。
正応5年(1292年)左近衛大将に転じ、内大臣に任ぜられる。この年は西園寺公衡が更迭されたことにより、近衛大将の人事に混乱が生じた。当初は左大将に花山院家教が、右大将に公衡が任じられた。しかし閏6月16日に公衡が更迭されたために、先に右大将を止められていた三条実重は改めて左大将に、左大将に任じられていた家教は右大将にということになった。だが、実重は12月に左大将を止められて左大将の後任には権大納言久我通雄が任じられ、左大将に通雄、右大将に家教という体制で永仁5年(1297年)まで続くことになった。
人物
官歴
『公卿補任』による
- 文応元年(1260年)11月15日:叙爵
- 弘長3年(1263年)1月6日:従五位上
- 文永元年(1264年)12月21日:侍従
- 文永4年(1267年)1月5日:正五位下。12月30日:禁色
- 文永5年(1268年)1月29日:兼甲斐権介
- 文永6年(1269年)1月5日:従四位下。3月27日:左近衛中将
- 文永7年(1270年)12月4日:従四位上
- 文永11年(1274年)1月7日:従三位(左中将如元)
- 建治元年(1275年)1月18日:兼尾張権守
- 健治3年(1277年)1月5日:正三位
- 弘安2年(1279年)11月18日:従二位
- 弘安6年(1283年)3月28日:正二位
- 弘安7年(1284年)1月13日:権中納言(不経参議)
- 弘安8年(1285年)2月20日:勅授帯剣
- 正応元年(1288年)7月11日:権大納言。7月12日:服喪(母)
- 正応4年(1291年)3月25日:兼右近衛大将
- 正応5年(1292年)5月15日:止右大将。閏6月16日:左近衛大将。9月某日:任大臣兼宣旨。11月5日:内大臣(左大将如元)。12月某日:辞左大将
- 永仁元年(1293年)3月21日:辞内大臣
- 正安2年(1300年)3月1日:従一位
- 文保2年(1318年)8月24日:太政大臣
- 元応元年(1319年)10月18日:辞太政大臣
- 元応2年(1320年)9月23日:出家(法名:覚空)
- 嘉暦4年(1329年)6月26日:薨去(享年71)