藤野正剛
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九州産業高では2年生エース田村浩一(阪神)を擁し、遊撃手、四番打者として1981年夏の甲子園県予選決勝に進むが、福岡大大濠高の森山良二に抑えられ敗退。
同年オフにドラフト外で西武ライオンズに入団。二軍暮らしが長かったが、1984年には打率.372でイースタンリーグの首位打者を獲得した。1987年より一軍に上がり、1988年には8試合、1989年には15試合に遊撃手として先発出場。堅実な守備で内野手の控えとして活躍した。
1991年途中、呉俊宏との交換トレードで横浜大洋ホエールズに移籍。同年は12試合に二番打者として起用された。翌1992年には出場機会がなく、同年限りで現役を引退。
引退後、2000年の第42回衆議院議員総選挙では自由連合公認で千葉3区から立候補したが落選した。墓石販売会社に勤務する傍らマスターズリーグ・札幌アンビシャスでプレーした。
その後は帰郷し、2019年に地元の福岡県・須恵町議会議員を1期務め[2]、2023年の町議選で再選を目指したが、7票差で落選した[3]。