西十三塚町

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西十三塚町
西十三塚町公民館
西十三塚町公民館
西十三塚町の位置(愛知県内)
西十三塚町
西十三塚町
西十三塚町の位置
西十三塚町の位置(瀬戸市内)
西十三塚町
西十三塚町
西十三塚町 (瀬戸市)
北緯35度13分30.7秒 東経137度5分11.4秒 / 北緯35.225194度 東経137.086500度 / 35.225194; 137.086500
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
市町村 瀬戸市
地区[1] 道泉連区
町名制定[2] 1942年昭和17年)1月9日
面積
  合計 0.020104580 km2
標高 94.4 m
人口
2025年令和7年)2月1日現在)[5]
  合計 87人
  密度 4,300人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
489-0057[6]
市外局番 0561(瀬戸MA[7]
ナンバープレート 尾張小牧

西十三塚町(にしとみづかちょう)は、愛知県瀬戸市道泉連区の町名。丁番を持たない単独町名である。

河川

  • 陣屋川瀬戸川支流)[8] : 町の東端、東十三塚町・京町との境を南流している。

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる[10]

番・番地等小学校中学校高等学校
全域瀬戸市立にじの丘小学校瀬戸市立にじの丘中学校尾張学区

歴史

町名の由来

町名設定の際、旧瀬戸村字十三塚[注釈 1]の西方にあたることから名付けられたと推察される[2]
十三塚の地名の由来については、以下の4つの伝説がある[11]

  • 1584年天正12年)小牧・長久手の戦いにおいて敗れた落武者13名が命からがらこの村まで逃げ延びてきたが、力尽きてしまった。かわいそうに思った村人達はこの地に13の塚を建てて弔った。
  • 1482年文明14年)今村赤津村郷主松原下総守広長は桑下城主長江民部少輔と相争い、合戦になった。松原勢は利なく西方へ敗走した。その時多数の軍兵が死に、この地に塚を築いて埋めた。その塚の数が13であった。
  • 1556年弘治2年)8月稲生の戦いにおいて織田信長とその弟信行が戦い、敗れた落武者13名がこの地で落命した。これをいたんだ村人が13の塚を建てて祀った。
  • 昔、瀬戸村に美男と美女が瀬戸川を挟んで住んでおり、二人は人知れず慕っていたが、丙午(ひのえうま)の乙女ということで破談になり、乙女は瀬戸川に身を投げ自殺してしまった。その後、この乙女の霊がここにさまよい、同月同日同時刻にここを通る馬を呪い殺していた。13年経過してやっと地元の人々がこれに気付いて、13の塚を建てて霊を弔った。

沿革

世帯数と人口

2025年令和7年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[5]

町丁世帯数人口
西十三塚町 56世帯 87人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移

1995年平成7年) 138人[12]
2000年(平成12年) 156人[13]
2005年(平成17年) 140人[14]
2010年(平成22年) 118人[15]
2015年(平成27年) 110人[16]
2020年令和2年) 90人[17]

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

1995年(平成7年) 56世帯[12]
2000年(平成12年) 96世帯[13]
2005年(平成17年) 81世帯[14]
2010年(平成22年) 73世帯[15]
2015年(平成27年) 64世帯[16]
2020年(令和2年) 60世帯[17]

交通

鉄道

名鉄瀬戸線[8] : 町の中央部を東西に走っている。最寄り駅は瀬戸市役所前駅

バス

名鉄バスしなの線(瀬戸北線)

  • 【1】【1H】【2】【2H】新瀬戸駅 - 瀬戸駅前 - 古瀬戸 - しなのバスセンター - 上品野 系統

名鉄バス「東山線

  • 【16H】【17H】新瀬戸駅 - 瀬戸駅前 - 菱野団地(循環) - 瀬戸駅前 - 新瀬戸駅 系統
以上、2路線6系統が走っているが、町内にバス停はない。最寄りのバス停は、瀬戸市役所北バス停になる。

道路

国道155号 : 町の南部を東西に通っている。

施設

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その他

日本郵便

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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