西宮カントリー倶楽部

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所在地 日本の旗 日本
兵庫県西宮市仁川町六丁目19番7号
開業 1955年昭和30年)11月27日
運営 メンバーシップコース
西宮カントリー倶楽部
Nishinomiya Country Club
西宮カントリー倶楽部
西宮カントリー倶楽部の空中写真。
2009年4月19日撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
兵庫県西宮市仁川町六丁目19番7号
座標: 北緯34度47分1.82秒 東経135度19分18.21秒 / 北緯34.7838389度 東経135.3217250度 / 34.7838389; 135.3217250
概要
開業 1955年昭和30年)11月27日
運営 メンバーシップコース
設計 井上 誠一
運営者 一般社団法人 西宮カントリー倶楽部
コース

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 5474 1 5474
2 4368 2 3202
3 3176 3 4341
4 4296 4 4397
5 4394 5 4349
6 4438 6 3162
7 5586 7 4454
8 3188 8 4369
9 4434 9 5602
363354 363350

その他
公式サイト 西宮カントリー倶楽部
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西宮カントリー倶楽部(にしのみやカントリーくらぶ)は、兵庫県西宮市仁川町にあるゴルフ場である。

西宮市甲山の麓は、1952年昭和27年)頃から、警察予備隊(現・自衛隊)の演習場にしばしば使用されていたが、恒久的に演習場として使用するという動きが出始めた[1]西宮市長辰馬夘一郎は、そこにはゴルフ場の企画があると反対し、観光文化都市構想の一環として「甲山ゴルフクラブ」の建設を立案した[1]。そして、1954年(昭和29年)11月30日、「社団法人西宮カントリー倶楽部」建設の認可を取得した[1]

西宮は、1945年(昭和20年)8月5日の大空襲で市内の大半が焼失したため、西宮カントリー倶楽部の建設は辰馬市長の政治目標のひとつだった[1]。辰馬市長は、陣頭指揮で会員の勧誘にも動いた[1]阪急電鉄株式会社の和田薫(後・初代理事長)の協力を得て法人会員130社39名を集めることができた[1]

ゴルフ場建設用地は、甲山の麓だが急傾斜地が多く、仁川渓谷と自動車道が用地内を通るため面積が少なく、また、土質が花崗岩地帯であるなど難点が多いことが分かった[1]。コース設計を依頼した井上誠一は半ば呆然としたが、その半面スケール感はとも角、利用価値のあるコースと交通上の利点を高く評価した[1]

1954年(昭和29年)10月13日、コース造成工事の起工式が行われ、1955年(昭和30年)11月27日、9ホールのコースが完成し、仮開場された[1]1956年(昭和31年)4月15日、9ホールが増設され、18ホール規模のコースが本開場された[1]

所在地

〒662-0811 兵庫県西宮市仁川町六丁目19番7号

コース情報

  • 開場日 - 1955年11月27日
  • 設計者 - 井上 誠一
  • 面積 - 890,000m2(約26.9万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,704ヤード、コースレート73.6
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 2グリーン、ベント、コウライ
  • 練習場 - 19打席250ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[2]

クラブ情報

ギャラリー

交通アクセス

鉄道

道路

エピソード

  • 1955年昭和30年)11月27日、9ホールが完成し、仮開場した、西宮市長辰馬夘一郎は始球式を行ったが、甲山大師に祈ってドライバーを振った。市長はこれまでゴルフボールを触ったことがなかった[4]
  • 1994年平成6年)1月から6月まで、コースを全面クローズ、開場50周年事業イベントのワングリーン化改造を終えた。改造設計は大橋一元が行った[4]

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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