西川順之助
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早稲田大学に入学し、バレーボール部に入部し、6人制バレーボールの草分け的存在となる[6]。1953年には、渡米チームのメンバーにも選ばれた[6]。
大学卒業後の1957年(昭和32年)4月に中日新聞社へ入社し、主にスポーツ取材に携わる[1]。バレーボール担当記者を長く務め、テレビ解説も担当した[6]。また1991年(平成3年)6月に中日新聞名古屋本社事業局長、1997年(平成9年)6月に同社取締役東海本社代表に就任、2001年(平成13年)6月からは常務取締役広告担当に就任した[1]。同年10月10日付で佐藤毅に代わって中日ドラゴンズの球団代表取締役社長に就任[1][4]。同時期には中日の監督が星野仙一から山田久志へ交代していた[1]。同職在任中の2003年(平成15年)には落合博満を中日の新監督として招聘した[7]。2011年(平成23年)3月25日に坂井克彦と交代する形で球団社長を退任、相談役になる[5]。また愛知県バレーボール協会会長なども務めた[3]。
2024年(令和6年)3月15日、老衰のため愛知県名古屋市中区の病院で死去。91歳没[2]。
著書に『わかりやすい バレーボールのルール(6人制、9人制)』(成美堂出版、1999年)がある。
脚注
- 1 2 3 4 5 6 7 『中日スポーツ』2001年10月11日付第5版1頁「竜を変える!!大補強宣言 新社長に西川氏 山田新監督を全面支援 常勝軍団目指し基盤づくり」「新球団社長に聞く 若返り推進が一番いい」「連覇したかった 佐藤前社長後悔チラリ」(中日新聞社)
- 1 2 “西川順之助氏死去、91歳 中日元球団社長”. サンケイスポーツ. (2024年3月18日). https://www.sanspo.com/article/20240318-K3KG7JTJ6JKSPPHNH4Y3KYDYGY/ 2024年3月18日閲覧。
- 1 2 3 「中日元球団社長の西川順之助さん死去 91歳で老衰のため」『中日新聞』中日新聞社、2024年3月18日。オリジナルの2026年3月26日時点におけるアーカイブ。2026年3月26日閲覧。
- 1 2 『中日新聞』2001年10月11日朝刊運動1面25頁「中日 球団新社長に西川氏」(中日新聞社)
- 1 2 「新社長の坂井氏 中日ファンサービス向上を約束」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2011年3月26日。オリジナルの2011年5月27日時点におけるアーカイブ。
- 1 2 3 「著者紹介」西川順之助『わかりやすい バレーボールのルール(6人制、9人制)』成美堂出版、1999年
- ↑ 「西川順之助さん死去」『朝日新聞デジタル』朝日新聞東京本社、2024年3月18日。オリジナルの2025年2月21日時点におけるアーカイブ。2026年3月26日閲覧。
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