諏訪頼嗣
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建武2年(1335年)、中先代の乱で祖父・頼重や父・時継が反乱を起こしたため、当時7歳であった頼継は[注釈 1]、諏訪大社の神領かつ「御射山御狩神事(みさやまみかりのしんじ)」が行われる場所であった神野(こうや、現:諏訪郡原山)に身を潜め続けなければならなかった。そのため、足利尊氏を恨んでいたという。また、逃亡生活を送る中で、幾つもの神験があったとされる[6]。
『守矢文書』には、興国元年/暦応3年(1340年)6月24日、当時数え12歳であった大祝頼継は北条時行と共に伊那郡の大徳王寺城において挙兵し、北朝方で信濃国守護の小笠原貞宗と戦闘を繰り広げたと記されている[7]。頼継は祖父・頼重や父・時継の北条氏に対する忠節が忘れ難かったために挙兵したという[7]。
同月26日、挙兵した貞宗は数日で城を包囲し、同月7月1日から攻城を開始した。頼継や時行は何度かの防衛戦には勝利したものの、なすすべもなく兵を失っていったため、4か月後の10月23日夜に大徳王寺城は落城し、頼継は諏訪に戻ったとされている[7]。