弘化4年(1847年)3月30日、諫早邑主14代・諫早茂喬と正室・於民(藩主鍋島斉正の妹)の長男として誕生。幼名は父と同じ益千代。
嘉永元年(1849年)2月25日、父・茂喬が死去。益千代はまだ幼いため、叔父・諫早茂孫が諫早家の家督を相続。嘉永5年(1853年)3月、茂孫が隠居して6歳で家督を相続した。幼い益千代に代わり、母於民の兄・神代賢在(藩主鍋島斉直の庶兄)が家政を監督した。
長崎への異国船の到来が頻繁になったことから、藩主斉直から、長崎港警備の強化のために、長崎に近い領内矢上村に家臣を駐屯させるように命じられる。長崎防備の費用に充てるため、領内尾島他の干拓開墾を許された。
安政5年(1858年)5月、長崎港警備に家中一同励んでいることを藩主斉正に賞された。万延元年(1860年)藩主・鍋島斉正次女・恒姫と婚約。
文久2年(1862年)7月8日死去。享年16。菩提寺の天祐寺に葬られた。家督は叔父・諫早一学が相続した。