文政8年(1825年)6月11日、諫早邑主12代・諫早茂洪の三男として誕生。幼名は孫九郎。
嘉永元年(1848年)2月に13代当主の兄・茂喬が病死し、兄の子・益千代はまだ幼児であることから、孫九郎が3月に家督相続した。
嘉永2年(1849年)アメリカ東インド艦隊の軍艦プレブル号が長崎に来航した際に、兵を率いて長崎に急行して港の警備に当たった。嘉永3年(1850年)藩主・斉正より、茂孫や鍋島茂昌ら青年の家老は日勤を免除して、藩校弘道館で文武に励むように命じられた。
嘉永5年(1853年)3月、隠居して家督を益千代(武春)に譲る。隠居後は家中で「大旦那様」と呼ばれた。
慶応2年(1866年)2月20日死去。享年42。菩提寺の天祐寺に葬られた。長男・家崇は一学の後を受けて諫早家17代当主となり、明治30年(1897年)男爵に叙爵された。