豊国 (米)
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歴史
1903年(明治36年)、山形県の桧山幸吉が、「文六」の田の中から発見した変種を抜き穂して選抜した[1][3]。山形県では1912年(大正元年)頃から普及し始め[4]、1914年(大正3年)から1948年(昭和23年)まで奨励品種となっている[2]。大正中頃になると各地に普及していき、特に東北地方、中でも山形県と秋田県では重要品種であった[2]。1924年(大正13年)には山形県内の作付面積は13,939ha、翌1925年(大正14年)には全国の作付面積が59,913haに達している[2]。
他県では1931年(昭和6年)頃から次第に栽培されなくなったが、山形県では草履製造の盛んな西村山郡を中心に、1939年(昭和14年)頃には約3,200ha、1945年(昭和20年)でも1,441haで栽培されていた[4]。また、大粒でタンパク質含量が低いという特性から、1994年(平成6年)に千代寿虎屋酒造によって酒米として復活栽培された[1]。
現在、山形県東田川郡庄内町の京島部落公民館前に「水稲品種豊国の創造者 檜山幸吉翁顕彰碑」が建っているほか、同町南野の「亀ノ尾の里資料館」には、地域の民間育種家として「亀ノ尾」の阿部亀治らとともに檜山幸吉の肖像と功績が掲げられている[2]。