Wikiwand AI

越智通雄

日本の大蔵官僚、政治家 (1929-2021) From Wikipedia, the free encyclopedia

越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 - 2021年〈令和3年〉1月30日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正三位。

生年月日 (1929-04-23) 1929年4月23日
出生地 日本の旗 日本 東京府(現・東京都)
没年月日 (2021-01-30) 2021年1月30日(91歳没)
概要 生年月日, 出生地 ...
越智 通雄
おち みちお
内閣広報室より公表された肖像
(1999年 撮影)
生年月日 (1929-04-23) 1929年4月23日
出生地 日本の旗 日本 東京府(現・東京都)
没年月日 (2021-01-30) 2021年1月30日(91歳没)
出身校 東京大学法学部法律学科卒業[1]
前職 官僚(大蔵省)
福田赳夫大蔵大臣秘書官
所属政党 自由民主党(森派)
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
法学士(東京大学・1952年)
配偶者 越智和子
子女 次男・越智隆雄(元衆議院議員)
親族 義父・福田赳夫(元内閣総理大臣、元衆議院議員)
義叔父・福田宏一(元参議院議員)
義弟・福田康夫(元内閣総理大臣、元衆議院議員)
甥・福田達夫(衆議院議員)
公式サイト 越智通雄Official Web Site(2003年8月9日時点のアーカイブ)
内閣 小渕第2次改造内閣
在任期間 1999年10月5日 - 2000年2月25日
日本の旗 第41・44代 経済企画庁長官
内閣 宇野内閣
第2次海部改造内閣
在任期間 1989年6月3日 - 1989年8月10日
1990年12月29日 - 1991年11月5日
選挙区 (旧東京3区→)
比例東京ブロック(東京6区)
当選回数 8回
在任期間 1972年12月11日 - 1983年11月27日
1986年7月8日 - 2000年6月2日
テンプレートを表示
閉じる

衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第41・44代)、金融再生委員会委員長(第2代)を歴任。日韓親善協会中央会会長。

来歴・人物

東京生まれ。東京高師附属中(現・筑波大附属中・高)卒業。同期生に大川慶次郎、大島通義、岡野行秀、三浦公亮など。 旧制一高を経て、東京大学法学部法律学科を卒業後[1]、大蔵省に入省。ニューヨーク副領事、福田赳夫大蔵大臣秘書官、主計局調査課長などを経て退官。

1972年の第33回衆議院議員総選挙で賀屋興宣の後継として旧東京3区より出馬し当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・野田毅・深谷隆司など)。自民党では福田→安倍→三塚→森派に所属した。

選挙ポスターは、名前を仮名で書くと回文になることを意識したものになっていた。選挙の際、「上から読んでも『おちみちお』、下から読んでも『おちみちお』、中に「み」のあるおちみちおです」と選挙カーで連呼していた。中選挙区時代の選挙区は(世田谷区、目黒区の)東京3区で小坂徳三郎、小杉隆、栗本慎一郎などと争っていた。

1996年以降は小選挙区制の実施に伴い東京6区を地盤としたが、選挙区当選はなく1996年の第41回衆議院議員総選挙で比例復活したのみである。

銀行局銀行課長補佐、衆議院大蔵委員長、自民党金融問題調査会長、金融再生委員会委員長などを務め、銀行、保険、証券等の分野とパイプを持つことから金融族とされている[2][3]。

2000年の秋の叙勲で勲一等旭日大綬章受章[4]。

2021年1月30日13時5分、老衰のため死去[5][6]。91歳没。死没日をもって正三位に叙される[7]。

発言

金融再生委員会委員長在任中の2000年2月19日、栃木県の金融機関関係者への講演で、「検査の仕方がきついとかあったら、どんどん直接おっしゃってください。最大限考慮しますから」と発言。「手心発言」として論議を呼び、委員長辞任につながった[8]。その後、2000年6月の総選挙で落選した。

履歴

家族・親族

脚注

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks