小杉隆

From Wikipedia, the free encyclopedia

生年月日 (1935-09-25) 1935年9月25日(90歳)
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市目黒区
〈現・東京都目黒区八雲
出身校 東京大学教育学部卒業
小杉 隆
こすぎ たかし
内閣広報室より公表された肖像
1996年 撮影)
生年月日 (1935-09-25) 1935年9月25日(90歳)
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市目黒区
〈現・東京都目黒区八雲
出身校 東京大学教育学部卒業
前職 東京放送社員
日本野鳥の会会長
帝京大学教授
現職 日本野鳥の会名誉顧問
所属政党自由民主党→)
新自由クラブ→)
自由民主党(無派閥)
称号 衆議院永年在職議員
教育学士(東京大学・1959年
配偶者 小杉敬子
公式サイト 小杉隆オフィシャルページ 東京都第5選挙区選出自民党衆議院議員(2008年12月2日時点のアーカイブ)
日本の旗 第123代 文部大臣
内閣 第2次橋本内閣
在任期間 1996年11月7日 - 1997年9月11日
選挙区旧東京3区→)
東京5区→)
比例東京ブロック→)
東京5区
当選回数 8回
在任期間 1980年6月23日 - 2000年6月2日
2003年11月10日 - 2009年7月21日
選挙区 目黒区選挙区
当選回数 4回
在任期間 1965年7月23日 - 1979年9月16日
テンプレートを表示

小杉 隆(こすぎ たかし、1935年昭和10年〉9月25日 - )は、日本政治家衆議院議員(8期)[1]文部大臣第2次橋本内閣[1]東京都議会議員(4期)を務めた。

東京都目黒区八雲出身[2]1959年東京大学教育学部を卒業し、ラジオ東京(現・TBSホールディングス)に入社。1965年、29歳の最年少で東京都議会議員に当選。1977年新自由クラブに入党。都議時代には美濃部亮吉都政の追及で名をはせる。その追及ぶりには美濃部も一目置いていたという。

1979年9月に都議を任期途中で辞職し、同年の第35回衆議院議員総選挙旧東京3区から新自由クラブ公認で立候補するも次点となるも、翌1980年第36回衆議院議員総選挙で再び旧東京3区から立候補し初当選(当選同期に古賀誠太田誠一川崎二郎久間章生平沼赳夫高村正彦柿澤弘治など)。新自由クラブでは国会対策委員長を務めた。1986年、新自由クラブの解党により自民党へ移る。1996年第2次橋本内閣文部大臣に就任。2000年第42回衆議院議員総選挙で落選。その後、帝京大学経済学部教授に就任。

2003年第43回衆議院議員総選挙で比例復活当選。2005年第44回衆議院議員総選挙で小選挙区で当選。2008年1月16日、第45回衆議院議員総選挙に出馬しない意向を表明。2009年7月21日、衆議院解散に伴い政界から引退した。引退表明の際、「妻の自己破産とは無関係」と説明した[1]

環境問題に詳しく、地球環境国際議員連盟の創設メンバーだった。また、トライアスロンを完走するアスリートであり、自転車活用推進議員連盟に所属し、2000年の落選中に任意団体の自転車活用推進研究会の委員長となった[3]

不祥事

著書

脚注

Related Articles

Wikiwand AI