辻義文

From Wikipedia, the free encyclopedia

つじ よしふみ
辻 義文
生誕 1928年2月6日
香川県高松市
死没 (2007-02-11) 2007年2月11日(79歳没)
東京都品川区
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学工学部
職業 経営者
活動期間 1954年 - 2007年
肩書き 日産自動車社長
日産自動車会長
日本自動車工業会会長
日本経済団体連合会副会長
テンプレートを表示

辻 義文(つじ よしふみ、1928年2月6日 - 2007年2月11日)は、香川県生まれの日本経営者日産自動車社長会長日本自動車工業会会長、日本経済団体連合会副会長を歴任。日産リバイバルプラン以前、1990年代の経営危機において、日産自動車座間工場閉鎖を始め大規模なリストラを敢行した[1]

香川県高松市出身[2]旧制高松中学[3]東京大学工学部を卒業後、1954年に日産自動車入社[4]。生産畑を歩み[4]、1992年同社社長就任、1996年に塙義一を後継社長として会長となり、日本自動車工業会の会長や日本経済団体連合会副会長も務めた[2]

石原俊久米豊ら歴代日産社長の拡大路線による失敗を受けて社長となり、1990年代にかけて経営危機に陥った日産のリストラを推し進めた[5]。日産自動車豪州工場、日産自動車座間工場を閉鎖、とくに1993年の座間工場の閉鎖は後の日産リバイバルプランの先鞭ともなったが[1]、工場閉鎖と併せ5000人におよぶ人員削減により社会問題ともなった[6]

日産がルノー傘下となり、カルロス・ゴーンが社長に就任した1999年、「経営責任がある」として会長職を退任[5]

2003年、旭日大綬章を受賞[7]

2007年、大動脈瘤破裂により79歳で死去[4]

人物

出典

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI