辻義文
From Wikipedia, the free encyclopedia
香川県高松市出身[2]。旧制高松中学[3]、東京大学工学部を卒業後、1954年に日産自動車入社[4]。生産畑を歩み[4]、1992年同社社長就任、1996年に塙義一を後継社長として会長となり、日本自動車工業会の会長や日本経済団体連合会副会長も務めた[2]。
石原俊、久米豊ら歴代日産社長の拡大路線による失敗を受けて社長となり、1990年代にかけて経営危機に陥った日産のリストラを推し進めた[5]。日産自動車豪州工場、日産自動車座間工場を閉鎖、とくに1993年の座間工場の閉鎖は後の日産リバイバルプランの先鞭ともなったが[1]、工場閉鎖と併せ5000人におよぶ人員削減により社会問題ともなった[6]。