追憶 (山本悍右)
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追憶(ついおく、英: Reminiscence)は、山本悍右が1953年に制作した写真作品である。J・ポール・ゲティ美術館の展覧会資料ではゼラチン・シルバー・プリントとして掲載されており、2013年の展覧会『Japan's Modern Divide: The Photographs of Hiroshi Hamaya and Kansuke Yamamoto』にも出品された[1]。 戦前の《伽藍の鳥籠》以来、山本が繰り返し用いた鳥籠のモチーフを戦後に展開した作例の一つとして紹介されており、2016年のタカ・イシイギャラリー ニューヨークでの個展や、2019年のサザビーズ「Classic Photographs」でも取り上げられた[2][3]。
図像と解釈
タカ・イシイギャラリーは、《追憶》を、歪んだ鳥籠の格子を日本の都市景観に重ねたイメージとして紹介し、その図像が原子爆弾の記憶を想起させるとしている[2]。 サザビーズのロット解説も、本作を、焼けただれたような鳥籠の格子を都市の上に重ねることで壊滅的な光景を喚起する作品として説明し、自由や言論表現の規制、戦後社会への不満を伝える山本のフォトコラージュの一つに位置づけた[3]。 サザビーズの事前紹介では、籠の中に鳥が見えないことから、閉塞とともに解放の含意も読み取れるとされている[5]。
一方、ゲティ展をめぐるKyoto Journalのインタビューでは、本作が原爆後の都市の記憶を想起させうることに触れつつも、鳥籠のモチーフそのものが山本にとって原爆を直接表していたかどうかについては断定していない。そこではむしろ、鳥籠が山本の作品に反復して現れる重要な図像であり、監禁、沈黙、閉塞、解放といった複数の意味を帯びうるものとして扱われている[6]。
山本悍右の作品世界の中で
鳥籠は、山本の写真と詩の双方にまたがって繰り返し用いられた主要モチーフの一つである。ゲティ刊行の図録では、1940年の《伽藍の鳥籠》は、電話機を鳥籠の内部に置くことで、抑圧的な国家統制や自由な表現の抑制に対する山本の認識を示す作例として論じられている[7]。 さらに同図録は、この鳥籠の抑圧的象徴性が戦後にも持続したと述べており、その文脈から《追憶》も、戦前に形成された山本の象徴体系が戦後に更新された作例として読むことができる[8]。
同図録では、山本の仕事を、欧米のシュルレアリスムを単に模倣したものではなく、既知のシュルレアリスムの図像や主題を日本の文脈のなかで拡張したものとして位置づけている[9]。 また、山本の1950年代作品について、海外のシュルレアリスムの図像を取り込みつつ、それを近代日本の状況に即して組み替えた仕事として論じている[9]。 《追憶》は、こうした戦後の仕事の中で、鳥籠という反復モチーフを通じて、戦前の検閲と抑圧の経験を戦後の都市的記憶へと接続した作品として位置づけられる[2][10]。
また、金子隆一は、戦後日本写真史がリアリズム写真運動を中心に語られてきたために、山本の前衛的実践は長く周縁化されてきたが、実際には戦後作品こそ複雑さと強度を増していると指摘している[11]。 この観点からも、《追憶》は、戦前の名古屋アヴァンギャルドの経験を戦後に持続させた山本の1950年代作品群を代表する一作とみなされる[11]。
展示
本作は2013年、ロサンゼルスのJ・ポール・ゲティ美術館で開催された『Japan's Modern Divide: The Photographs of Hiroshi Hamaya and Kansuke Yamamoto』に、アン・アンド・デイヴィッド・ルーダーマン・コレクション所蔵作品として出品された[1]。 同展では、山本が1940年代末から1960年代初頭にかけて制作した多様な実験的作品群の一作として位置づけられている[1]。 2016年にはタカ・イシイギャラリー ニューヨークの個展で、《漂流記》や《憩いの季節》などとともに、1933年から1953年までの代表的イメージ14点の一つとして展示された[2][4]。