野口英世青春通り

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終点会津若松市大町一丁目
接続する
主な道路
記法
国道252号
大町通り
会津若松市の通り
野口英世青春通り
起点 会津若松市西栄町
終点 会津若松市大町一丁目
接続する
主な道路
記法
国道252号
大町通り
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
会津若松市の通り
大町通り
起点 会津若松市大町一丁目
終点 会津若松市駅前町
接続する
主な道路
記法
野口英世青春通り
白虎通り
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路
野口英世青春通り(看板)

野口英世青春通り(のぐちひでよせいしゅんどおり)は、福島県会津若松市の通りの愛称。また、本項目では野口英世青春通り北側に位置する大町通りについても述べる。

野口英世青春通り、大町通りは会津若松市の中心市街地に位置する通りで、それぞれ神明通り中央通り国道118号国道121号国道401号)の西側に並行し、会津若松市役所付近と会津若松駅付近とを結ぶ[1]。また、大町通りには町方蔵しっく通りの命名もなされている[1]。全線が幹線一級市道7号に路線指定されている。

歴史

江戸時代、大町通りは当時の郭内に存在した通りを指しており、大町口郭門から南側へ、右左折を経て現在の神明通りの南側に至り、南町口郭門に続く通りであった[2]。神明通り南側は、その後、栄町四丁目通りと呼ばれ、現在は国道118号国道121号国道401号に指定された後[3]、国道のルート変更に伴い市道へ移管された。一方、現在の大町通り周辺は、大町竪町、大町二ノ竪町、大町三四ノ竪町、大町名子屋町などの町が存在しており、これらの町は現在の大町通りを軸に存在していた。当時は漆器商が多く住んでいたとされる[1]

その後、1899年岩越鉄道若松駅が開業すると、大町通りは会津若松駅と、駅の南方向に位置する当時の若松市市街地を結ぶ通りとなり、店舗などの増加も見られるようになる[1]昭和時代後半には、大町通りは七日町通りなどと共に国道49号の一部であり、自動車交通の発展により交通量の増加が見られた。これを受けて、現在の国道49号である若松バイパスの整備や、中央通りの整備なども行われている[4]

「野口英世青春通り」命名と近年の大町通り

1992年、本通りに野口英世青春通りの命名が行われた。この通り名は、医学者野口英世手術を受けた病院、会陽医院の跡などが周辺に存在し、野口英世と関係が深い通りであるとされたことに基づくもので、通り名の命名以後には道路をレンガ敷きに改修するなどの取り組みも行われた[2]。その後、野口英世の銅像などが置かれる野口英世青春広場の開設なども行われている[2]

交差する道路など

中町グランドホテル付近から会津若松駅方面へ南から北にかけての順。交差する道路について、特記がない場合は会津若松市道。交差する道路については、左側が上り線側、右側が下り線側。

交差する道路/河川 交差点名/橋梁名
-
幹線一級市道7号
会津若松市役所方面
幹線二級市道9号
市内中町方面
(西栄町 起点)
三級市道若221号
神明通り方面
三級市道若269号
七日町方面
(中町)
国道252号 国道252号
七日町通り
大町四つ角交差点
三級市道若38号
中央通り方面
三級市道若15号
市内七日町方面
(大町一丁目)
幹線一級市道17号
市内慶山方面
幹線一級市道17号(計画路線) (大町一丁目)
幹線一級市道9号白虎通り
飯盛山方面
会津若松駅 (駅前町 終点)
国道118号、国道121号[5] 国道49号・会津大学方面

沿線

野口英世青春館・会津壹番館(左)

十日市

大町通りや神明通りなど、会津若松市中心部で1月10日に行われている起き上がり小法師などの縁起物と言われるようなものを扱う店のほか、食べ物を提供する店などが通りに立ち並ぶ。蘆名氏によって黒川城が築城された時期から行われているとされる[6]

脚注

参考文献

外部リンク

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