野呂圭介
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俳優を志して上京し、1958年に『踏みはずした春』(日活)でデビュー以後、脇役として日活のスクリーンで活躍した。
邦画産業が斜陽化した1969年以降、僚友の宍戸錠と共に、テレビ番組『元祖どっきりカメラ』(NTV系)に転出。長髪にGパン、デニムベストのヒッピー風スタイルで赤ヘルを被り、ストーリーの最後に「どっきりカメラ NTV」と書かれたプラカードを掲げて現れては、だまされた相手が怒って逆襲し殴られる役(赤ヘルはこの目的)で、19年間にわたって人気を博す。
1978年に持病(メニエール病)の療養で帰郷。鹿児島テレビ、テレビ熊本、テレビ宮崎のローカル番組に時折出演する傍ら、鹿児島市天文館で「スナック どっきりカメラ」を経営し、同番組で使用した赤ヘルとプラカードの実物を店内に展示していた。
趣味だった陶芸に専心するために1995年3月に芸能界を一旦引退し、間もなく店も畳んだ。宮崎県西諸県郡野尻町で修行の後、1999年に日置市伊集院町に「陶呂庵 野呂窯工房」を構え、悠々自適な活動を行っていたが、2003年に肝臓ガンを患い、闘病を余儀なくされた。2006年より由布院温泉に移住。
2009年に映画『黄金花 秘すれば花、死すれば蝶』に出演し、14年ぶりに芸能界に復帰。髪型は『どっきりカメラ』時代から長髪だったが、現在は白髪混じりの長髪と共にヒゲも伸ばしている。
ランプシェード専門ギャラリー「灯芸 野呂窯」を日置市に開業した後、現在は薩摩川内市に住居兼工房を移して陶芸を中心に活動している[2]。
長らく1937年生まれと公表していたが、2017年の『週刊アサヒ芸能』でのインタビューにて「本当は宍戸錠と同い年(1933年生まれ)であり、公的には4歳若くごまかしていた」ことを認めた[3]。
2020年1月に宍戸が亡くなった際には、1月22日放送の『スッキリ』(日本テレビ)に電話出演して宍戸の想い出話を語ると共に、自身も健在であることを世間に知らしめた[4]。