銃殺刑

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エドゥアール・マネ作『皇帝マキシミリアンの処刑』。 メキシコ皇帝マクシミリアンは1867年失脚し銃殺刑に処された。

銃殺刑(じゅうさつけい)は、銃撃することで被刑者を射殺する処刑方法である。

銃殺刑には軍法に基づいて開かれた軍法会議による判決によって行われる銃殺刑と、通常の刑法に基づいて開かれた裁判による判決によって行われる銃殺刑とがある。現在では通常の刑法による刑事罰として銃殺刑を採用しているは非常に少なく、ほとんどが軍隊における処断である。

欧州連合(EU)加盟国は通常犯罪に関する死刑制度は全加盟国が廃止しているが、戦時の際の死刑については権利として認められていることから、軍法上の銃殺刑が存続している国もある。しかし、EU加盟国でこの権利を根拠とした銃殺刑が実施された事例は今のところない。近年は、戦時や軍法からも死刑を廃止する国が増えている。

銃殺刑は軍法違反者への最高刑罰であり、軍人に対する最も一般的な死刑である。銃殺刑になった軍人は戦死とは扱われず給料も支払われず遺族への年金も支給されない。また戦死者が埋葬される国営墓地などにも入れない。旧日本軍においては銃殺刑になった軍人は靖国神社に祀られなかった。一方、上級階級の軍人を辱める処刑を行う際には、銃殺刑ではなく絞首刑が用いられた。第二次世界大戦後、連合国戦犯者とされた枢軸国側の主な軍人の処刑には絞首刑を用い、「何故、銃殺の名誉を与えないのか」などと批判された(例えば、本間雅晴は軍人としての名誉を重んじられ、軍服着用を認められた上で銃殺刑に処されているが、山下奉文だけは囚人服姿で絞首刑にされている)。またヒトラー暗殺計画に関わった軍人を絞首刑などに処している。ポーランドソビエト連邦デンマークノルウェーなどでは第二次世界大戦後の戦争犯罪者の処刑に銃殺を用いていた。

この他、ナチス・ドイツにおいては処刑方法として銃殺刑以外にギロチンによる斬首や絞首刑が行われていた(ナチス政権下では銃殺刑よりも絞首刑の方が残酷極まりない刑罰との考え方があったため、自分が絞首刑になると聞いて名誉ある銃殺を願うが通らず、服毒自殺したヘルマン・ゲーリングなどの幹部がいる)。レーニン時代のチェーカースターリン時代の大粛清においても銃殺刑が用いられており(ただし、厳密にいえばこれは拳銃で後頭部を撃ち抜く射殺Execution by shooting)にあたり、ソビエト連邦の崩壊後も死刑を廃止した近年までロシア連邦において行われていた。)、恐怖政治の象徴として認識される側面もある。

軍法による銃殺刑は自国の軍人だけでなくゲリラ活動を行った者などに対しても行われる。ゲリラや、占領地で反抗的な行動をした(と事実の如何に関らず占領地の軍が判断した場合も含む)住民に対して見せしめとして公開処刑で執行される場合もあるが、このような行為は国際法条約)違反であり、条約批准国の軍人が行えば軍法会議によって重い刑罰を科せられ、銃殺刑になる場合もある。また、条約を批准していない国の軍人が行った場合でも交戦国が条約批准国だった場合には相手国の軍法会議によって銃殺刑にされる場合がある。

また、中国北朝鮮などでは、軍隊が司法警察権司法裁判権を持っている(逮捕、裁判、刑執行を全て軍隊が行ってしまう)場合があり、軍隊が逮捕し軍法会議によって死刑判決が出た場合に銃殺刑を用いている。銃殺刑においてしばしば公開処刑としていることが多く、国家権力が犯罪抑止の一環として行うケースも見られる。

銃殺隊

1914年10月の新聞から、第一次大戦時、目隠しして壁に立ち、ベルギー軍銃殺隊に処刑されるドイツのスパイ。実際には、新聞記者がスパイ役となり再現した写真であったが、スパイの処刑を描いた写真として戦時下広く流布した[1]
1906年コロンビアで銃殺後に晒される刑死者の遺体。

銃殺隊(firing squad)は数人の兵士で構成され、刑の対象となる人物に向けて同時に射撃を行うことにより刑が執行される。数人が一斉射撃することにより、一人で射撃する場合(銃殺射殺)に伴う射殺失敗を防ぐことが出来、また銃殺隊のうち誰が致命傷となる弾丸を撃ったのか分からなくて済む[注 1]という効果もある。

処刑される人物は通常、目隠しを顔に巻きつけられたり頭にフードをかぶせられたりするか、あるいは動けない様に縛られるなど拘束される。銃殺隊の前に立たされることもあれば、座ったまま射殺されることもある。

場合によっては、銃殺隊のうち一人だけに実包の代わりに空包を装填した銃が渡されることがあるが、誰に空包入りの銃が渡されたかは決して明らかにされない。これは、銃殺隊の一人ひとりの心の負担や罪悪感を軽くし、処刑に当たって隊員が動揺するなどの事態を防ぐためとされている。銃殺隊員たちは処刑後に「自分の銃は空砲だったかもしれない、自分は殺さなかったかもしれない」と考えることができ、他の隊員に責任転嫁をすることもできる[注 2]。もっとも、射撃に熟練した兵士は反動の大小で実包と空包の違いを判断することは出来るが、後々の心理的な利益のために射撃時の反動に注意を払わなかったり、後で「あの反動は空包のものだった」と思い込んだりすることがある。

銃殺隊による銃殺刑は銃による他の処刑、たとえば拳銃で首の後ろを撃つ射殺などとは区別される。だが、こうした拳銃によるとどめの一撃(情けの一撃フランス語: Coup de grâce)は銃殺隊による銃殺と共に使われることがある。例えば、銃殺隊の一斉射撃で即死していなかった場合、拳銃で止めが刺される。ほかにも一斉射撃の後で処刑を確実なものとするため銃殺隊長が必ず拳銃で止めを刺す場合もある。

軍隊における銃殺刑

アメリカ軍の銃殺刑

現代のアメリカ軍では、死刑を注射刑としており軍法上も銃殺刑は無い。

1976年以降軍法会議にて死刑判決を受けているのは7名しかおらず、死刑執行は1961年4月以来行われていない。1961年4月に行われた最後の死刑執行は強姦と計画殺人未遂罪であり絞首刑が執行された[2]

旧日本軍の銃殺刑

旧日本軍における死刑の執行は銃殺刑であった。すなわち陸軍刑法21条に「陸軍ニ於テ死刑ヲ執行スルトキハ陸軍法衙ヲ管轄スル長官ノ定ムル場所ニ於テ銃殺ス」。海軍もこれに準じて、海軍刑法16条に「海軍ニ於テ死刑ヲ執行スルトキハ海軍法衙ヲ管轄スル長官ノ定ムル場所ニ於テ銃殺ス」。その方法は、処刑者の眼を布で縛るか、顔全体を覆う麻袋を頭から被せた上で立たせ、これに対し将校または下士官指揮する1部隊の一斉射撃をもってされた。

軍隊以外に適用される銃殺刑

中国(中華人民共和国)

21世紀初頭現在の中国では世界で最も多くの死刑が執行されており、一般犯罪者の死刑執行に銃殺が行われる場合があり、まれに一般公開もされていた。2008年の北京夏季オリンピックを前にして、国際世論、特に死刑制度を廃止している欧州諸国からの批判をかわすため、オリンピック直前に廃止され、現代では行われていない[3]。受刑者は後ろ手に縛られ、身動きが出来ないように二人がかりで座らせられた後、後ろからライフル銃で後頭部または胸部を撃たれて処刑される。

また、2020年12月時点で、昆明長沙成都北京深圳上海広州南京重慶杭州瀋陽大連鞍山平頂山焦作市武漢黒竜江省ウルムチで執行される場合は、罪種問わず薬殺刑となっている[4]

台湾(中華民国)

台湾を実効支配している中華民国では、中国の旧政権時代から引き続き銃殺刑が用いられている。

死刑囚は執行前に米飯煮豚煮卵スープが与えられる。執行直前に麻酔注射される。臓器移植を希望する死刑囚は、マットレスにうつ伏せに寝かされ、執行人がサプレッサーを装着した拳銃で耳の後ろを撃つ。処刑後の臓器提供を希望しない者は、背中から心臓を撃たれる。

以前は死刑の執行は早朝に行われていたが、現在は日没後に行われる。

なお、台湾では2015年以降、死刑囚からの臓器移植は行われていない。

アメリカ

アメリカ合衆国成立後、およびその独立前、1608年から1987年までに142人が判決で銃殺刑に処されたとされる[5]。多くは南北戦争時の脱走兵やスパイだが、一部は軍人ではなく一般の犯罪者である。

ユタ州では長年死刑に銃殺刑が使われ、志願した5人の警官により銃殺隊が組織されていた。2004年に銃殺刑を禁ずる州法が成立したが、それ以前に銃殺刑の判決を受けた死刑囚には遡及しないため、1985年に死刑判決を受け、銃殺刑を求めていたロニー・ガードナー死刑囚に対して、2010年6月18日1996年以来14年ぶりに執行された[6][7]

その他、オクラホマ州では未だ銃殺刑は適用可能だが、現在では薬物注射による処刑(薬殺刑、注射刑)が主流であり、銃殺刑は万一の場合のバックアップとして規定されているに過ぎない(2004年に銃殺刑を禁じたユタ州も2015年3月23日に薬殺刑の執行が不可能である場合に限って認められることとなった[8]。)。

しかし、薬殺刑は失敗すると死刑囚に多くの苦しみを与えることから、死刑賛成の立場からは銃殺刑を復活させようとの意見が聞かれる事がある[9]

しかしながら、サウスカロライナ州において、2021年5月14日に死刑執行方法を電気椅子だけでなく、銃殺刑も選択可能にする法律が成立している[10]。この法律も、ユタ州やオクラホマ州と同様、薬殺刑が執行不可能である場合に限定しているが、この法律を成立させた背景には、死刑執行用の薬物が入手できず、2011年を最後に執行が出来ない状況があるため、この状況を打破するために施行された。

そして、2025年11月14日時点でサウスカロライナ州で以下の3人の死刑囚が銃殺刑により施行されている。

ブラッド・シグモン2025年3月7日にロニー・ガードナーの執行から15年振りに銃殺によって執行され、アメリカ東部時間18時5分に3人の死刑執行人のライフル銃により心臓を狙う形で執行され、3分後に死亡が確認された。
ブラッド・シグモンの罪状は、1週間前に別れた元彼女の両親をバットで殴って殺害し、元恋人を銃器で威嚇して拉致をしたことである[11][12]
なお、銃殺を選択した理由は、薬物注射は他の執行方法と比べて失敗の可能性が多いこと、電気椅子は「自分を燃やし、生きたまま焼いてしまうだろう」と残忍であることを理由にブラッド・シグモンが拒否したため、消極的な形で選択したからである[13]
ミカル・マフディ:ブロード・リバー矯正施設で2025年4月11日の18時1分に執行。罪状は、2004年7月14日から17日にかけて行った犯罪の中で、バージニア州麻薬取引に失敗を理由とした刺殺、ノースカロライナ州で当時29歳のコンビニ店員への銃による殺害、サウスカロライナ州で当時農場主であった非番の警部を銃で9発発砲して殺害の計3人の殺害である。なお、起訴された犯罪は、死刑廃止州のバージニア州を除いた2件の殺人事件で起訴され、サウスカロライナ州で起こした殺人事件により死刑が確定している[14][15]
スティーブン・ブライアント2025年11月14日にブロード・リバー矯正施設でブライアントを金属製の椅子に拘束し、頭にフードをかぶせた状態にし、3人の死刑執行人が壁を挟んで15フィート(4.572m)離れた場所でライフル銃心臓に向ける形でアメリカ東部時間18時2分に執行し、3分後に死亡が確認され、アメリカ合衆国で死刑が再開された1976年以降で銃殺刑による執行された6番目の人物(サウスカロライナ州では3番目)となった。
罪状は、サウスカロライナ州サムター郡2004年10月8日に強盗で不法に得た.40S&W弾を使用する拳銃で、同日から同月13日の間に3人を殺害(うち2人は強盗目的)し、1人に重傷を負わせることである。また、2人目殺害の際に、血で壁に「捕まえられるものなら捕まえてみろ」というメッセージを残している[16][17]

タイ

タイノンタブリー県にある重罪犯専用のバンクワン刑務所にはタイで唯一の処刑場があり、斬首刑が廃止された1935年から薬殺刑が導入された2003年まで銃殺刑が行われていた。H&K MP5(ドイツ製短機関銃)及びライフル銃が使用され、死刑囚に目隠しをして十字架に対面させ、両手・両足・胴を拘束し背後から射撃するというものだった。

サウジアラビア

サウジアラビアでは、現在でも主な執行方法として斬首刑が行われているが、それ以外の方法として銃殺刑も採用されている。銃殺刑は死刑執行人によって行われ、死刑囚の頭部に袋をかぶせ、至近距離から射殺する形式が一般的である。 執行完了の事実は、サウジアラビア通信(SPA)やサウジアラビア国営テレビ(SBA)などの国営メディアを通じて公式声明として発表(ニュースでの読み上げ)される。しかし、執行の様子そのものがテレビで生放送・放映されることはない。

近年は、サウジ・ビジョン2030に基づく国際的イメージ改革の影響もあり、アムネスティ・インターナショナルなどの報告によれば、広場での公開執行から刑務所内での非公開執行へと移行する傾向にある。ネット上で流布している執行映像は、政府による放映ではなく、居合わせた市民による隠し撮りなどの流出動画である。


インドネシア

インドネシアでは銃殺刑が一般的な執行方法として用いられている。執行方法は、午前0時すぎに空き地に連行され、柱に結び付けられた後に12人で構成される部隊により、約5~10m離れた状態で、発砲し執行する。但し実弾が装填されているのは12人の内3人であり、日本と同様、誰が執行したか分からなくすることにより執行する者への心理的負担を軽減することを目的としている。また、死刑囚は執行の際立つか座るか選択でき、目隠しやフードにより目を覆うかどうかを決めることも出来る[18][19]

2008年11月9日には2002年に発生したバリ島爆弾テロ事件 の実行犯3名が銃殺刑に処された。その後、2009年から2012年の間は死刑執行が一時停止されたのちに2013年に再開された。再開後の2013年から2021年6月時点で最後の年となる2016年まで23人が死刑執行されていた[19][20][21][22]。この期間に執行された者の大半は麻薬の密輸に関わった外国人であり、銃殺刑に処されている。また2013年には執行再開に対して、執行停止を求めていたブラジル及びオランダ政府が駐インドネシア大使を召還して抗議を行い、2015年にはオーストラリア政府が死刑囚2人(ヘロイン密輸組織、通称「バリ・ナイン(Bali Nine)」の幹部)の執行停止を求めるなど各国と対立を深めた[19][23]。この対立の影響か定かではないが、2016年7月29日に薬物関連の罪による4人の執行(内3人はナイジェリア国籍2人とセネガル国籍1人の外国人)を最後に死刑執行はされていない[22]

ベトナム

死刑執行例が多い国でもあり、麻薬密売人などに対して銃殺刑が行われた事例もある。実際の執行数は日本を上回るといわれ、2018年の死刑執行数は少なくとも85件あった[24]。かつては銃殺刑で執行されていたが、2011年7月に刑法改正により薬殺刑に変更され、2013年8月6日ハノイ市で強盗殺人の罪で死刑判決を受けた27歳の男性死刑囚が薬殺刑により執行され、ベトナムの薬殺刑死刑囚第1号となった[25]

その他

北朝鮮などでは麻薬密売人などに対して用いられることがある。

アラブ諸国ではサウジアラビアだけではなく、イエメンイラクなどでも執行例がある。

ソマリアではイスラム教過激派などにおいて銃殺刑の執行例があり、公開処刑と行われていた。

銃殺刑を受けた有名人物

脚注

関連項目

外部リンク

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