阪本瑞男
From Wikipedia, the free encyclopedia
東京府立一中、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業。1920年10月高文外交科合格。外務省同期に鹿島守之助、加瀬俊一など。奉天や外務省条約局、フランス勤務などを経て、国際連盟帝国事務局、1929年、ロンドン軍縮会議随員、1933年、条約局第3課長、1937年、在米国大使館一等書記官。
以後、在イタリア大使館参事官を経て、1940年9月、外務省欧亜局長に就任。1942年8月、駐スイス公使就任。11月、ベルンに着任、中立国であるスイスからドイツ形勢悪しを本国に打電し終戦工作に奔走する。しかし、駐ドイツ大使には大島浩がおり、彼がドイツ優位の情報を本国に流したため、阪本の工作が実を結ぶことはなかった。1944年7月に任地・スイスで死亡。
家族・親族
系譜
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]