力石健次郎
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愛媛県喜多郡大洲町(現:大洲市)出身。旧大洲藩士・力石八十綱の三男・力石敏三郎(海軍中佐)の次男として母マツ(海軍主計中将池辺安雄の妹)との間に横須賀市汐入で生を受ける。
敏三郎は力石雄一郎の弟にあたる。幼少期は海軍士官だった父の赴任先である朝鮮鎮海にも帯同している(妹 スミ子の出生地)。
父が本土に戻った後、一時期母マツの実家でもある熊本で暮らし熊本市立春日尋常小学校卒業~中学校入学となるが、その後横浜(神奈川区台町とも)に移り住み神奈川県立第一中学校に転校。
その後旧制第一高等学校を経て1940年(昭和15年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。
帝大在籍中に外交官試験に合格。卒業後外務省入省。フランス語研修[1]。短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、1940年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官[2]。同年9月に卒業[2]。1942年3月、主計大尉に進む[2]。1945年5月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた[2]。
戦後となり1945年に解員(復員)。外務省国連局参事官(1963年)、初代中近東アフリカ局長(1965年)、駐カンボジア特命全権大使(1967年)、駐ポーランド特命全権大使(1971年)、外務省儀典長(1972年)、駐スイス特命全権大使(1974年)を歴任。1978年退官。
退官後は日本電気株式会社顧問(1979年)、1980年から二代目迎賓館館長を務めた。
1995年2月9日死去。享年78歳。