阿遅加神社
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江戸期には「稚武の宮」「八幡社」「八剣大明神」と称し、美濃国羽栗郡直道村の氏神であった。社伝によれば、東征を終え尾張国にたどり着いた日本武尊は、伊吹山の神を倒すため、美濃国へ向かい、現在の境川)付近に霊泉があるのを知った日本武尊は、この霊泉を飲み、暫く休憩した。この霊泉が存在した地が、この阿遅加神社の場所という。日本武尊が大和国に帰る途中で亡くなった後、日本武尊の子である稚武彦王がこの地を訪れ、日本武尊を祀る社を建てたのが始まりという。
1586年(天正14年)、木曽川は大洪水により大きく流れを変えてしまう。尾張国と美濃国の境が新しい木曽川の流れに変更され、阿遅加神社の所在地は尾張国葉栗郡から美濃国羽栗郡に変更された。
江戸期以降、所在地が「足近輪中」と称されていたことから『延喜式神名帳』に見える葉栗郡「阿遅加神社」に比定された。『尾張国内神名帳』では阿遅加神社を「足近天神」と記載している。なお『特選神名牒』では玉井村の賀茂神社が阿遅加神社であるとする説にも言及している。1873年(明治6年)、郷社となった。
