陽明山管理局
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1949年(民国38年)6月、国共内戦で劣勢にあった中国国民党総裁の蔣介石は、台湾省台北県の草山に移り住んだ[注 3][2][3]。7月14日、台湾省政府は要人の安全を守るために草山管理局の設置準備を開始し、台湾省立台北商業学校(現:国立台北商業大学)を間借りして籌備処が設置された[3][4]。8月10日、籌備処は草山衆楽園(現:台北市教師研習中心)に移転した[4]。8月26日、台湾省政府は台北県に属していた士林鎮と北投鎮を分離させ、県級行政区画である草山管理局を設置し、施季言を初代局長に任命した[2][5][6]。11月12日、草山管理局は逸園に移転した[7]。
1950年(民国39年)3月31日、台湾省政府委員会は草山を陽明山に改称することを承認した[5]。4月26日に草山管理局が陽明山管理局に改称された[2][8]。
1967年(民国56年)7月1日、台北市は台湾省から独立して院轄市(現:直轄市)に昇格した[1][6]。
1968年(民国57年)7月1日、士林鎮と北投鎮が台北市に編入されてそれぞれ士林区と北投区になった。陽明山管理局は台北市政府の下部機関となり、市と区の中間の行政機関として2区を管轄した[1][6]。
1974年(民国63年)1月1日、台北市政府は陽明山管理局の行政機関としての機能を廃止し、景観の維持・管理のみを担当する機関とした[3][6][5][9]。これによって士林区と北投区は台北市政府の直接管轄下に入った[10]。
1977年(民国66年)1月1日、陽明山管理局は陽明山管理処に降格し、台北市政府民政局の下部機関となった[2][5][6][10]。
1980年(民国69年)1月、陽明山管理処は陽明山公園管理所に降格し、業務は台北市政府工務局公園路燈工程管理処に移管された[2][6][10]。
