隈部館
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(熊本県) | |
|---|---|
| 別名 | 永野城 |
| 城郭構造 | 居館 |
| 築城主 | 隈部武治? |
| 築城年 | 不明 |
| 主な改修者 | 隈部親家・隈部親永 |
| 主な城主 | 隈部氏 |
| 廃城年 | 1587年(天正15年)以降 |
| 遺構 | 居館跡、虎口、土塁、堀切、庭園 |
| 指定文化財 | 国の史跡「隈部氏館跡」[1] |
| 位置 | 北緯33度03分20.0秒 東経130度47分48.0秒 / 北緯33.055556度 東経130.796667度座標: 北緯33度03分20.0秒 東経130度47分48.0秒 / 北緯33.055556度 東経130.796667度 |
| 地図 | |
隈部館(くまべやかた)は、熊本県山鹿市菊鹿町上永野にあった戦国時代の日本の城(城館)。永野城(ながのじょう)とも称される。肥後の有力国人・隈部氏の居館で、館跡は「隈部氏館跡」の名称で国の史跡に指定されている[1]。
歴史
現状
『肥後国誌』には、居館跡には大手枡形ノ跡、城ノ礎石、若殿ノ部屋ノ跡、庭石泉水ノ跡、花園ノ跡が残るとある。隈部神社の下にある広場には、庭園跡と接して3棟分の建物の礎石が残っている。隈部神社と広場の北側には堀切が残り、神社の南側には枡形の跡がある。枡形の跡から小道をさらに南に降ると、その脇に厩跡と伝えられる空き地がある。
旧鹿本郡菊鹿町時代の1974年(昭和49年)3月に熊本県の史跡に指定され、同町により史跡環境整備の一環で3度の発掘調査が行われている。1970年(昭和50年)の調査では、ほぼ完全な形の庭園跡が検出された[3]。
2009年(平成21年)に県の史跡から国の史跡となったことを記念して、隈部親永の銅像が建立され、2011年(平成23年)11月26日に除幕式が行われた[5][6]。
