雷金
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雷金(らいきん、英: Fulminating gold)は、主に金(III)、アンモニア、塩素からなる光感受性・衝撃感受性を持つ黄色~黄橙色の非晶質不均一高分子混合物であり、化学式で記述できない。ここで英語の「fulminating」は最古の意味である「爆発性のある」(ラテン語: fulmen「稲妻」、動詞 fulgeo「輝く」に由来)を指す。本物質には雷酸イオンは含まれない。最良の近似的説明は、三次元配位高分子 3
∞ [Au
2(μ2−NH
2)(μ3−NH)
2]Cl の部分的加水分解生成物である。燃焼時には紫色の蒸気を発生する。この錯体は低スピン状態の平面四角形分子構造を有する[1]。
一般的に、塩化金(III)塩または水酸化金(III)塩をアンモニアガスやアンモニウム塩と混合して誤ってこの物質を生成することは避けるべきである。僅かな接触でも爆発を起こす可能性があることによる[2]。
雷金は最初に知られた高爆発性化合物であり、西洋錬金術において1585年という早い時期に言及されている。ゼバルト・シュヴァルツァー(Sebald Schwærzer)が初めてこの化合物を単離し、著書『シュヴァルツァーの黄金錬成術(Chrysopoeia Schwærtzeriana)』でその特性を論じた。シュヴァルツァーの製造法は、金試料を王水に溶解し、飽和溶液に塩化アンモニウムを加え、鉛球を通して沈殿させ、タルタル油[注 1]上で乾燥させることを必要とした[3]。16~17世紀の化学者たちは、爆発性を持つ金化合物の新奇性に強い関心を示し、多くの化学者がその爆発により負傷した。19世紀初頭の代表的な化学者イェンス・ヤコブ・ベルセリウスもその一人である。ビーカーが手の中で爆発し、手と目に数年に亘る損傷を負った[4]。17世紀のヨハン・ルドルフ・グラウバーによって、雷金が実用化された。彼は爆発後の紫色の煙を利用して、物体を金メッキした[1](p307)。その後、雷金はその感光性から写真術にも用いられるようになった[5]。
18世紀から19世紀にかけて、雷金の化学式解明に向けた研究が続けられた。カール・ヴィルヘルム・シェーレは、雷金形成の原動力となる物質がアンモニアであり、爆発時に生成されるガスが主に窒素ガスであることを発見・実証した。ジャン=バティスト・デュマは更に研究を進め、雷金には金と窒素の他に水素と塩素も含まれていることを発見した。彼は粉砕した試料を酸化銅(II)で分解し、陽イオンがアンモニウム、陰イオンが金窒素錯体からなる塩であることを明らかにした。エルンスト・ヴァイツは最先端の技術を用いてこの化合物の研究を続け、雷金が「ジアミドイミド金塩化物」と2Au(OH)
3 · 3NH
3の混合物であると結論づけた。彼はこの錯体が殆どの溶媒に溶けにくいが、金(III)水溶液、アンモニア、塩化物には溶けやすいことを指摘した。彼の化学式に関する結論は誤りであったが、後の科学者たちが参考にできる妥当な推定値を提供した。
現在の知見
化学の初期・中期において、雷金の研究は非常に大きな関心を集めたため、その合成法は数多く存在する[1](p308)。しかし全ての合成経路で同じ生成物が得られるわけではない。スタインハウザーらおよびエルンスト・ヴァイツによれば、[Au(NH
3)
4](NO
3)
3をCl−
で加水分解することにより、非常に均質なサンプルが得られる。彼らはまた、合成経路の違いや、生成物の沈殿時に使用するアンモニアの量の違いによって、Au、N、H、Cl の比率が異なることも指摘している。雷金はその物理的・化学的特性により、通常の方法では結晶化できないため、結晶構造の決定は非常に困難である。スタインハウザーらによる広範な結晶化の試みと振動分光法[注 2]から、雷金はμ2−NH
2およびμ3−NH架橋を介して結合した高分子化合物の非晶質混合物であると結論付けられた。また、雷金はアセトニトリルやジメチルホルムアミドにもわずかに溶けることも判明している[1](pp309–313)。
EXAFS(広域X線吸収微細構造)スペクトルは、其々の金原子に202 pmの距離で4つの窒素原子が配位し、テトラアンミン金(III)と同様の対称的平面四角構造を形成していることを示している。この構造は、雷金の反磁性によって裏付けられる。雷金がd⁸電子配置を持ち反磁性を示すことから、正方平面構造を有していると見て間違いない[1](p311)。これらのスペクトルは、4個または1個の金原子と他の配位子が第二配位圏に存在するモデルと一致する[1](p311)[6](pp43–45)。