霧島ゴルフクラブ

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所在地 日本の旗 日本
鹿児島県霧島市牧園町高千穂3311番地
開業 1957年昭和32年)9月23日
運営 メンバーシップコース
霧島ゴルフクラブ
Kirishima Golf Club
霧島ゴルフクラブ
霧島ゴルフクラブの空中写真。
1976年10月5日撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
鹿児島県霧島市牧園町高千穂3311番地
座標: 北緯31度52分25.47秒 東経130度48分19.9秒 / 北緯31.8737417度 東経130.805528度 / 31.8737417; 130.805528
概要
開業 1957年昭和32年)9月23日
運営 メンバーシップコース
設計 保田 与天
運営者 一般社団法人 霧島ゴルフクラブ
コース

OUT IN
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 4419 1 4405
2 4424 2 4394
3 5563 3 4350
4 3202 4 3215
5 5507 5 5535
6 4362 6 4425
7 3185 7 4387
8 4348 8 3184
9 4357 9 5519
363367 363414

その他
公式サイト 霧島ゴルフクラブ
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霧島ゴルフクラブ(きりしまゴルフクラブ)は、 鹿児島県霧島市牧園町高千穂にあるゴルフ場である。

1945年昭和20年)代、鹿児島県にはゴルフ場が一つもなかった、ゴルファーは月一回、阿蘇の「熊本ゴルフ倶楽部」・湯の谷コース(現・「くまもと阿蘇カントリークラブ」、1952年(昭和27年)開場、設計・保田与天井上誠一)に出かけ月例会を行い、鴨池海軍航空基地跡地の3ホールや伊敷練兵場跡地で楽しんだ[1]。「鹿児島にもゴルフ場がほしい」との声が高まっていた頃、大成建設株式会社保田与天が鹿児島に株式会社山形屋の仕事でやってきた[1]。その頃、既に保田の名は鹿児島では知れ渡っていた、熊本ゴルフ倶楽部と「福岡カンツリー倶楽部」(1952年(昭和27年)開場、設計・保田与天)のコース設計を行っていたからである[1]

ゴルフ場の建設候補地探しに拍車がかかった、吉野島津家山林、桜島三合目など9カ所が候補に上がった末、牧園町町営牧場を探し当てた、GHQの解放後5年が経過していた用地である[1]。牧場の一部の10万3千坪を借地契約し、1956年(昭和31年)12月23日、コース設計は保田与天に依頼し、9ホールの造成工事を着工させた[1]1957年(昭和32年)4月10日、新たなゴルフ場の経営母体「社団法人鹿児島ゴルフクラブ」を設立し、9ホールのゴルフ場を仮開場させた[1]

保田与天の設計は「自然のかたちを極力残す」がコンセプトだった、「大部分は手づくり、フェアウェイトラクターで耕し、畑のようにした[1]。芝の代わりに牧草の種を蒔いた」グリーン造りは小鍬でひとつ造るのに2〜3週間かかった[1]。出来上がったコースは難しいコースだった、平日にはひとりの客もいない日もあった[1]

その後、1970年(昭和45年)5月28日、クラブの名称の鹿児島ゴルフクラブを「霧島ゴルフクラブ」に名称変更された[1]1984年(昭和59年)5月20日、コースの隣接地で開催された第35回全国植樹祭昭和天皇が行幸された、昭和天皇はミヤマキリシマなど植栽事業の熱心さでも知られている[1]

所在地

〒899-6603 鹿児島県霧島市牧園町高千穂3311番地

コース情報

  • 開場日 - 1957年9月23日
  • 設計者 - 保田 与天
  • 面積 - 750,000m2(約22.6万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,781ヤード、コースレート72.5
  • フェアウェー - コウライ
  • ラフ - ノシバ
  • グリーン - 1グリーン、ベント
  • ラウンドスタイル - キャディ・セルフ選択可、カート付プランでのラウンド、1組4人が原則、状況によりツーサム可
  • 練習場 - 13打席200ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、1月1日[2][3]

クラブ情報

  • ハウス面積 - 3,048m2(922坪)
  • ハウス設計 - 株式会社 久米建設事務所(現・株式会社 久米設計
  • ハウス施工 - 小牧建設 株式会社・株式会社 前田組共同企業体[2][3]

ギャラリー

交通アクセス

鉄道(JR九州

道路

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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