青柴憲一
From Wikipedia, the free encyclopedia
1930年に立命館大学野球部に所属。1932年から1933年頃、旧関西六大学リーグ戦での快速球は京都の野球界を風靡しており、京都商業学校時代の沢村栄治から目標とされる程の存在だった[1]。また、島秀之助も戦前で最も印象に残った選手の一人として、青柴憲一の名を挙げている[2]。大学時代のチームメイトに後藤正・村川幸信(社会人野球の明電舎でもバッテリーを組んだ)がいる。
立命館大学を中退して、渡辺商店や東洋ベアリングでプレー。1934年のベーブ・ルース率いる全米選抜チーム来日時には、11月8日の湯の川球場(北海道函館市)での試合に全日本選抜チームの投手として先発。初回にアール・アベリルに満塁ホームランを打たれ、2-5で敗れた。同年12月26日に大日本東京野球倶楽部(現在の読売ジャイアンツの前身)が創設されると同時に入団を請われ入団。沢村栄治やヴィクトル・スタルヒンの影に隠れてあまり活躍の機会はなかったが、1937年秋季に2勝1敗ながら防御率2.67を記録してリーグ9位に入っている。
1938年秋に戦局の悪化にともない陸軍に召集され戦地へ[3]。その後、除隊して明電舎や大連実業団でもプレーしたが、職業野球に復帰することなく、1945年に平壌第一陸軍病院で病死した[4]。喘息の持病があったと言われている。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。
1947年秋に国民リーグへの参加を目的に元中部日本監督・竹内愛一が京都府出身者を中心に「京都団」というチームの結成を試みた。結局、チーム実現には至らなかったが、当時マスコミに発表されていたレギュラーメンバー予定者9名の中に、戦死したことが判明していなかった青柴の名も含まれていた[5]。
選手としての特徴
人物
当時中野のアパートに住んでいたが、アパートから10分ほどの所にある丸井(現在の丸井中野本店)で月賦で背広を買い、その足で質屋に行って背広を質草に現金を借りる方法を編み出し、金回りが良かった。当時の巨人では給料の前借りはできなかったため、他の選手も現金が必要な時は同じ方法を利用していたという。また、青柴は当時としてはおしゃれのセンスが抜群で、借りた現金で、オメガの時計、ステットソンの帽子、ヒコックのベルトなどの舶来品を買って身につけていた[7]。
大学卒業後に呉服商のチームにいただけあって非常に器用であった。ある時、丸井で買ってきた背広について、表の柄より裏の柄が気に入ったとして、背広を自分の手でほどき、三日三晩かけて表と裏をひっくり返して、完全に背広を作り替えてしまった[7]。
詳細情報
年度別投手成績
| 年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1936春 | 巨人 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | -- | -- | .000 | 19 | 3.2 | 8 | 1 | 1 | -- | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 3 | 7.36 | 2.45 |
| 1936秋 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | -- | -- | .500 | 93 | 21.0 | 20 | 0 | 11 | -- | 1 | 8 | 0 | 0 | 7 | 3 | 1.29 | 1.48 | |
| 1937春 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 10 | 3.0 | 1 | 0 | 0 | -- | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.33 | |
| 1937秋 | 13 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | -- | -- | .667 | 215 | 53.1 | 35 | 2 | 18 | -- | 1 | 19 | 0 | 0 | 18 | 16 | 2.67 | 0.99 | |
| 1938春 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 13 | 3.2 | 2 | 0 | 1 | -- | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.82 | |
| 通算:3年 | 23 | 6 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | -- | -- | .429 | 350 | 84.2 | 66 | 3 | 31 | -- | 2 | 29 | 0 | 0 | 29 | 22 | 2.33 | 1.15 | |
背番号
- 9 (1935年)
- 13 (1936年 - 1938年)