中野 (中野区)

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中野
町丁
中野サンモール商店街
(2020年)
北緯35度42分21秒 東経139度39分59秒 / 北緯35.705844度 東経139.666406度 / 35.705844; 139.666406
座標位置:中野駅付近
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京都
特別区 中野区
人口情報2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口 26,934 人
 世帯数 17,484 世帯
面積[2]
  1.458060349 km²
人口密度 18472.49 人/km²
郵便番号 164-0001[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 練馬
ポータルアイコン ポータル 日本の町・字
ポータルアイコン ポータル 東京都
プロジェクト 日本の町・字
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中野ブロードウェイ
中野サンモール商店街と直結している

中野(なかの)は、東京都中野区町名。現行行政地名は中野一丁目から六丁目。住居表示実施済区域。郵便番号は164-0001[3](集配局 : 中野郵便局[5])。


商業地

中野区中央部に位置する。東部は中野区東中野、南部は大久保通りを境に中央になる。北部は早稲田通りを境に新井野方上高田と接し、西部は杉並区高円寺南・高円寺北に接する。中野駅前を中心に繁華街オフィス街が形成され、駅周辺には閑静な住宅地も広がる。現在、駅周辺では大規模な再開発が進められており、2012年には中野四季の都市が街開きしている。

中野駅はJR中央線快速中央・総武緩行線東京メトロ東西線が乗り入れるターミナルで、2014年度の一日乗車人員は140,587人と、JR東日本の管轄内で19番目に多い[6]

中野駅前を中野通りが縦貫し、沿道に中高層建築が立ち並ぶ一方、駅周辺以外は住宅街となっている。いわゆる「木賃ベルト地帯」の一角であり[7]木造の賃貸物件で一人暮らしをしている若年層の住民も見られる。

なお、駅北口および警察大学校跡地を中心に大規模な再開発事業が行われており、一部が2012年に中野四季の都市(なかのしきのまち)としてオープンした。駅南口でも2011年には丸井中野本店がリニューアル、2012年には中野ツインマークタワーが竣工するなど、街並みが変貌しつつある。中野駅周辺の昼間人口は再開発前より約2万人増加した[8]。これにより2013年度の駅利用者数は前年より10.8%増加した。

中野駅前(南口)にはバスロータリーがあり、ロータリーの三丁目側には中野マルイ(旧・丸井中野本店)などがある。東側の二丁目側は古くからの駅前商店街で、少し離れて中野郵便局紅葉山公園なかのZERO中野図書館)などがある。駅裏の北口は戦後闇市が立ったところで、闇市の名残として中野サンモール中野ブロードウェイ)やその周辺の商業施設があり、中野区役所も設けられた[注釈 1]

上記をはじめとする商業ランドマークが存在するほか、中野駅徒歩数分程度の狭い範囲に多数の商店街が集中している。特に駅裏の北口東側は城西地域・中央線沿線屈指の繁華街であり、駅周辺の半径500mに小売事業所数304件、飲食店事業所数220件が集積する[9]

2007年の中野駅から半径1km圏内の小売業年間商品販売額は1188億0905万円である[10]。このうち中野駅南口は「ファッション関係の店舗の年間商品販売額の割合が高い商業集積地区」の中で、285億300万円の年間商品販売額(都内12位)を誇り、「中野駅北口」は秋葉原と同じく戦後の闇市から始まった商業地であり「何にも特化し難い商業集積地区」で505億3600万円(同9位)を記録している[11]。一方で性風俗産業などの集積は、同規模の商業地である錦糸町五反田などと比較してほとんど進んでおらず、ほぼ純粋な飲食店街を形成している。

近年は、中野ブロードウェイをはじめオタクサブカルチャー関連産業の集積が顕著であり、また、数々の声優アイドルグループが中野サンプラザなどでイベントを開催することから「オタク・アイドルの聖地」として知られ「西の秋葉原」の異名を持つ[12]。駅近辺ではアニメやコスプレ関連のイベントが頻繁に開かれている。

主な商店街

出典:「中野区商店街ナビ」中野区商店街連合会[13]

駅北口
  • 中野サンモール商店街 - 中野駅北口と直結する全長240mのアーケード商店街で、中野ブロードウェイとも直結している。飲食店や酒場は少ない一方で衣料品店が多い。
  • 中野北口一番街商店街
  • 中野北口二番街商店街
  • 中野北口狸小路商店街
  • 中野北口三番街商店街
  • 中野北口白線通り商店街
  • 中野新仲見世商店街
  • 中野ふれあいロード商店街
  • 中野北口昭和新道商店街
  • 中野ブロードウェイ - サブカル関連の希少なグッズを扱う店舗やメーカーが多く集まるショッピングセンターで、ここでしか入手できない商品も存在することから海外からも多くの観光客が訪れる。
  • 中野早稲田通り商店街
  • 中野北口五番街商店街
  • 天神商栄会
駅南口
中野レンガ坂(2025年8月)
中野レンガ坂夜景(2025年9月)

住宅地

駅周辺は商業地が中心だが、少し離れると閑静な住宅地である。住宅地の少ない中野四丁目を除けば人口密度は高いが、新宿まで一駅と都心にもほど近く、閑静で犯罪発生率も低いため人気のある住宅地となっており、2014年のリクルート「SUUMO」による「住みたい街ランキング」でに1位となっている[14]

地価

商業地の地価は、2025年令和7年)1月1日公示地価によれば、中野3-36-15の地点で667万円/m2となっている[15]。また、住宅地の地価は、中野3-23-46の地点(中野駅から約500m離れた「中規模以上の住宅の多い閑静な住宅地域」)で107万円/m2となっている[15]。鑑定評価書によれば当該地域は「利便性の高さも兼ね備える高級住宅エリアで、区画整然と邸宅が建ち並び、優良な住環境を形成している」地域であるとされる[16]

歴史

地名の由来

現在の中野区一帯は、武蔵野[注釈 2]の中央に位置することから「中野」と呼ばれるようになった。こうして誕生した中野村に1889年に中野駅(当時の甲武鉄道)が開業したことから「中野駅前」という町丁が誕生、住居表示の際に周辺とともに「中野」に改められた。

江戸期

徳川綱吉が発布した生類憐れみの令に関連して、1695年に囲町地区(現・中野四丁目)などに、野犬を収容し世話するための大規模な犬屋敷が設置された。医者や役人が配備された計5つの囲いの中に、最盛期には10~30万頭がいたとされ、当地に集落が形成され「囲町」の名前の由来となった[17]。なお、当時の中野村の中心地は、青梅街道に面した現在の本町にあたる地域であった。また、徳川吉宗の時代には旧・桃園町域(現・中野三丁目)にの名所が作られ、地名の由来となった。江戸後期には一般庶民も花見に訪れるようになり、隅田川や飛鳥山のと併せて現代の花見のルーツとされる[18]。その他の地域では畑作と、製粉、味噌醤油醸造などの食品工業が整備された。特にそば粉の生産は有名であり、江戸で消費されるそば粉のほとんどが「中野そば」だったとされる[19]

近代

明治時代に甲武鉄道が開通すると、当時は駅前だった桃園通りから市街化が進んだ。次いで囲町集落の住民や、新井薬師堀ノ内妙法寺への参拝客の利用が増加し、参道商店街が作られるなど急速に都市化したが、明治後期でも駅周辺には麦畑が残っていた[20]

1896年には陸軍電信隊・鉄道隊・気球隊の施設が、次いで陸軍憲兵学校が現在の区役所付近に作られた。日露戦争後に御茶ノ水 - 中野間の運転間隔が10分になるなど、甲武鉄道の輸送改善が進むと都市化が本格化し、陸軍施設の関係者が住む街である一方で、高所得者の別荘がある郊外住宅地としての環境が整った[21][22]

大正に入ると駅の乗降客数も増加し、中野は都心部へ通勤する人々のベッドタウンとして成長を遂げ、現在のサンモール周辺にも商店ができ始めた。関東大震災後には、甚大な被害を受けた下町から膨大な人口が流入したことで宅地開発に拍車がかかり、早稲田通りから現在の中野ブロードウェイの一部にかけて模範市場が作られるなど、商業の集積が顕著になった。

1929年、中野通りを陸橋化し、中央線と立体交差させる計画が発表されたが、当時の道路状況では粉塵が橋下の商店に飛散する恐れがあり、駅北側の商店主が反対した。その結果、駅は現在地に移り北口が新設され、中野通りは線路の下を通すこととなった。この時、上記の商店主らを中心に駅北口周辺一帯の地盤を現在と同じ高さにまで掘り下げる工事を自ら行った[23]。1931年には中野では初のデパートとして丸井が開店し、城西地域を代表する広域商圏を持つ商業地に成長した[24]。1937年には現在の三番街までだった「仲通り」商店街(現在の中野サンモール)が、現在の中野ブロードウェイの入口地点まで延伸された。当時は年中無休で23時頃まで営業していたという[23]

同1937年には陸軍中野学校が囲町に作られ、1945年5月25日の山の手空襲では中野区一体も標的となったが、駅周辺は焼失を免れ、終戦後には陸軍の土地に米軍が駐屯し、駅前は米軍の物資の横流しもあり闇市が発達、当時は中央線沿線で最も発展した闇市と称された。復興の過程で闇市は商店街へと姿を変え、1948年には「仲通り」は「中野北口美観商店会」に改称した。1958年にはアーケードを建設し、現在の中野駅前の繁華街の基礎を作った[20][22]

20世紀後半

1966年には営団地下鉄東西線が開業、中野駅は名実ともにターミナル駅となった。同年には中野ブロードウェイが開業、東洋一のショッピングセンターとして約400店が軒を連ねた。 一時は店舗の陳腐化や撤退のため200店前後にまで落ち込んだが、1980年にまんだらけが開業して同様の業者を呼び寄せ、サブカルチャーが脚光を浴びて同社の店舗数が増えるにつれ、おたく文化の発信拠点となった[25]

また、1970年には日本初の会員制総合スポーツクラブとして東京アスレチッククラブがこの地に開業、1973年には最高級のコンサートホールや結婚式場、ホテルを擁する中野サンプラザが竣工、さらには、1975年に中野北口美観商店街が中野サンモールになるなど、現在の街並みやランドマークがほぼ完成した。2012年には「中野四季の都市」が街開きするなど中野駅周辺で大規模な再開発事業が行われ、街並みが大きく変貌しつつある。

21世紀前半

2012年、東京都は中野二丁目及び五丁目を都迷惑防止条例に基づき、客引きスカウトのみならず、それらを行うために待機する行為なども禁止する区域に指定した[26]

さらに2019年には同区域を暴力団排除条例に基づき、暴力団排除特別強化地域に指定[27]。地域内では暴力団と飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止され、違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科されることとなった[28]

年表

町名の変遷

中野は1966年昭和41年)10月1日住居表示を実施。旧町名は町内会や公園の名前などに残るのみとなった。1~3丁目がJR中央線の高架より南側、4~6丁目が北側である。

中野(中野区)の各町丁の位置関係。上側が北。
実施後 実施年月日 実施前
中野一丁目 1966年(昭和41年)10月1日 宮園通一丁目から同三丁目の各一部、城山町
中野二丁目 宮園通三丁目および同四丁目の各一部、千光前町、中野駅前の一部
中野三丁目 宮園通四丁目および同五丁目の各一部、中野駅前の一部、桃園町
中野四丁目 囲町、新井町の一部、野方町二丁目の一部
中野五丁目 打越町、天神町、昭和通三丁目の一部、新井町の一部
中野六丁目 文園町、昭和通二丁目の一部

世帯数と人口

2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
中野一丁目 3,769世帯 6,061人
中野二丁目 1,657世帯 2,707人
中野三丁目 3,905世帯 5,947人
中野四丁目 1,022世帯 1,415人
中野五丁目 4,808世帯 6,963人
中野六丁目 2,323世帯 3,841人
17,484世帯 26,934人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[30]
26,740
2000年(平成12年)[31]
25,786
2005年(平成17年)[32]
25,076
2010年(平成22年)[33]
25,192
2015年(平成27年)[34]
27,022
2020年(令和2年)[35]
28,176

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[30]
14,089
2000年(平成12年)[31]
14,434
2005年(平成17年)[32]
14,444
2010年(平成22年)[33]
15,348
2015年(平成27年)[34]
17,113
2020年(令和2年)[35]
17,186

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年4月現在)[36]

丁目番・番地等小学校中学校
中野一丁目全域中野区立谷戸小学校中野区立中野東中学校
中野二丁目全域中野区立桃花小学校中野区立中野中学校
中野三丁目全域
中野四丁目全域中野区立平和の森小学校
中野五丁目全域中野区立桃園第二小学校
中野六丁目全域中野区立中野東中学校

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[37]

丁目事業所数従業員数
中野一丁目 159事業所 1,076人
中野二丁目 273事業所 3,791人
中野三丁目 408事業所 4,399人
中野四丁目 267事業所 18,310人
中野五丁目 1,011事業所 8,812人
中野六丁目 85事業所 622人
2,203事業所 37,010人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[38]
2,194
2021年(令和3年)[37]
2,203

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[38]
37,452
2021年(令和3年)[37]
37,010

施設

一丁目

二丁目

三丁目

四丁目

五丁目

駅に近い西側は繁華街、東側は住宅街になっている。

六丁目

主に住宅地となっている。

交通

鉄道

町内の鉄道駅は中野駅のみであるが、東部では東中野駅中野坂上駅落合駅、北部では新井薬師前駅、南部では新中野駅も利用可能である。

道路

中野サンプラザ20階から見た中野駅と中野通り

バス

中野駅周辺の京王バス路線図
(2014年現在)

駅北口(ガード下・サンプラザ前)・南口双方に大規模なバスターミナルと、北口に関東バス案内所、南口に京王バス案内所がある。中野駅から区内各所・新宿池袋渋谷や近隣区を結ぶ一般路線バスのほか、銀座羽田空港と結ぶ中距離路線、長距離高速バスが乗り入れる。

中野を舞台とした作品

小説

映画・ドラマ・特撮

漫画・ライトノベル・アニメ

ゆかりのある人物

政治家・学者・文化人・軍人

  • 乃木希典 - 現在の中野ブロードウェイの敷地の一部は、乃木希典が自分の死後に妻生活に困らないように買っていた土地だったが、その後親族の手に渡った。親族はこの地が経済活動に利用され、乃木の痕跡が消されることを懸念し、当初はブロードウェイ建設に反対した。
  • 東畑精一
  • 松岡象一郎
  • 青島幸男 - 中野ブロードウェイに居住していた。
  • 渡辺浩弐 - 作家。中野ブロードウェイに居住していた。

芸能

  • 中川翔子 - 中野ブロードウェイ内に自身がプロデュースする「mmts」を開店。
  • 野村義男
  • 沢田研二 - 中野ブロードウェイに居住していた。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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