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顕節祠

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ハングル: 현절사
漢字: 顕節祠
顕節祠
顕節祠の位置(大韓民国内)
顕節祠
顕節祠
顕節祠の位置(ソウル特別市内)
顕節祠
顕節祠
各種表記
ハングル: 현절사
漢字: 顕節祠
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顕節祠(ヒョンチョルサ、朝鮮語: 현절사)は、大韓民国にある朝鮮時代の史跡。1637年の丙子の乱の際、仁祖が漢江南岸の三田洞(朝鮮語版)にある清王朝軍本営に出向き、ホンタイジが天子であることを三跪九叩頭の礼によって認めることを、臣下の面前で屈辱的におこない、臣従を誓わせられ、屈辱的な三田渡の盟約を余儀なくされると、清王朝を蛮夷だとして、最後まで主戦論を主張したことから、斥和臣として捕えられ、瀋陽で打ち首にされた呉達済、尹集、洪翼漢の三学士の忠節を称えるために建てられたお堂[1][2]。世界遺産となっている広州市の南漢山城に設けられている[3][2]。毎年旧暦の9月10日に祭祀がおこなわれている[2]。1972年5月4日、京畿道有形文化財第004号に指定された。

呉達済、尹集、洪翼漢の三学士の思想は、明王朝に対する慕華、忠君思想が根幹をなしている。洪翼漢は、著書『尊周彙編』において、「列聖相承,世藩職修,事大一心(先祖代々から中華の藩屏として仕え、強大な主君に一意専心仕えるのみ)」と主張している[4]。要するに、中華の天子へ忠実に諸侯の礼を尽くしてきたということであり、中華帝国からすれば、この「千年属国」の朝鮮こそがもっとも忠実な模範属国であり、執拗に抵抗し、ひとすじ縄ではいかないベトナムに比べれば、まさしく「礼儀の国」そのものであった[5]。

建立のいきさつ

脚注

関連項目

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