高橋宏
日本の実業家 (1933-2021)
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来歴
新潟県新発田市出身。新潟県立新発田高等学校を経て、1956年に一橋大学商学部を卒業し、同年日本郵船に入社。入社後は営業部門で主に欧米航路を担当し、1960年代から1980年代にかけてニューヨーク、ロッテルダム、デュッセルドルフなど海外支店勤務を経験した[1]。
1985年に取締役、1988年常務取締役、1990年代表取締役専務、1993年代表取締役副社長に就任。国際定航路部門や港湾再編事業などを統括した[2]。
1995年から郵船航空サービス代表取締役副社長、1996年より同社代表取締役社長に就任。国際貨物輸送の効率化や航空貨物ネットワーク再編に取り組み、アジア・欧州間の物流強化を推進した[3]。 2001年代表取締役会長、2003年相談役を経て退任。
2004年、東京都公立大学法人設立準備室長に就任し、翌2005年、同法人初代理事長に選任された。法人化に伴う制度改革を主導し、任期制・年俸制の導入、附属図書館の一般利用拡大などを推進した[4][5]。
2013年の理事長退任後も、東京都港湾審議会会長として東京港の再編と民営化を提言。ポートオーソリティ構想検討委員会の座長として制度設計に携わった[6]。 一時、東京都港湾局より東京港埠頭株式会社の社長就任を要請され、一旦内定したが、高齢を理由に辞退した[7][8]。
一橋総合研究所
犯罪被害者支援
人物
学生時代は一橋大学で石原慎太郎と親交を結び、以後生涯にわたり盟友関係を維持した。石原が政界に進出して以降も、経済界側から政策提言や人的支援を行い、特に港湾政策や首都再編構想、大学改革などで協力関係を築いたとされる[17][18]。
石原が東京都知事に就任した後も、両者は定期的に意見交換を行い、港湾政策や臨海開発、教育行政に関して助言を与えていたと報じられている[19][20]。
2003年には、石原の要請により首都大学東京(現・東京都立大学)の初代理事長に就任し、石原が掲げた教育改革構想を制度面から支えた[21]。 その後も一橋大学関係者の梶原徳二(一橋総合研究所理事長)らとともに、石原都政における大学・産業連携や文化政策の立案に関わったとされる[22][23]。
また、大学法人化以前から石原と「知の開放と実学の融合」を理念として共有しており、首都大学東京初代理事長として掲げた「開かれた大学」構想にもその思想的連続性が見られる[24]。
叙勲
著書
- (鈴木秀郎共著)『コンテナ時代―拡がりゆく新輸送システム』(日本経済新聞社〈日経新書〉、1970年、全国書誌番号:70015740)
- (涛川栄太・中村哲・鈴木壮治共著)『「日本浮上」プロジェクト―首都圏スーパー新空港が国を救う』(ブックハウスジャパン、2001年、ISBN 9784860400033)
- 『喧嘩の作法―アメリカが怖れた男の交渉術』(講談社、2015年、ISBN 9784062194174)
関連項目
評伝
大学・産業界双方の改革を経験した経営者として、大学法人化の先駆者と評される。首都大学東京の運営理念「実学重視・開かれた大学」は、高橋の経営哲学を反映したものとされる[27]。