高田町 (名古屋市)
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高田町 | |
|---|---|
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名古屋経済大学高蔵高等学校・中学校 | |
| 北緯35度8分3.04秒 東経136度55分46.88秒 / 北緯35.1341778度 東経136.9296889度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 区 | 瑞穂区 |
| 町名制定[1] | 1934年(昭和9年)7月20日 |
| 面積 | |
| • 合計 | 0.181415336 km2 |
| 人口 | |
| • 合計 | 1,108人 |
| • 密度 | 6,100人/km2 |
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
| 郵便番号 |
467-0808[WEB 3] |
| 市外局番 | 052 (名古屋MA)[WEB 4] |
| ナンバープレート | 名古屋 |
高田町(たかたちょう)は、愛知県名古屋市瑞穂区の地名。現行行政地名は高田町1丁目から高田町6丁目[WEB 1]。住居表示未実施[WEB 5]。
歴史
瑞穂台地上に位置し、高田古墳を始め周辺には多くの古墳が築造されていたことが知られる。古墳の大半が近世以降の開発により失われたが、高田5号古墳(五中山古墳)という円墳が名古屋市立瑞穂ヶ丘中学校校内に残っている。
町名の由来
江戸期の愛知郡高田村の名による[3]。かつて真宗高田派の寺院である如来寺があったことに由来するとされるが[3]、地形に由来するとも言う。
「高田」という地名は平安末期までには成立していたらしく、『吾妻鏡』1190年(建久元年)6月29日条に「尾張国住人重家(高田四郎重家)」なる人物の記録がある[4]。 鎌倉期には「南高田郷」と「北高田郷」に分かれていたことが知られ、1316年(正和5年)付の『熱田社領別納等注進状』に「南高田郷 愛智郡...北高田郷 愛智 五町九段大」とあり、熱田神宮領となっていた。
江戸期の高田村は、現在の高田町の町域から北は洲雲町のあたり南は春敲町のあたりまで広がっていた。高田村の枝郷として「中山」(中山町)があり、「高田新田」とも呼ばれ養林寺領であった。江戸初頭までキリスト教徒が在住していたらしく、『尾張徇行記』に「往古村々ニ切支丹類族住居セリ」とある。高田村及び高田新田は、1876年(明治9年)に合併に伴い愛知郡瑞穂村の一部となった。
行政区画の変遷
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 10]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 11]。
| 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|---|
| 全域 | 名古屋市立汐路小学校 | 名古屋市立汐路中学校 | 尾張学区 |
交通
- 南北に郡道と通称される道路が縦断する[2]。
施設
- 尾張学園名古屋大谷高等学校[2]
- 名古屋経済大学高蔵中学校・高等学校
- 名古屋市立瑞穂ヶ丘中学校[2]
- 高田郵便局[2]
- みずほヶ丘幼稚園
- 愛知県営中山住宅
- 名古屋大谷高等学校
- 名古屋市立瑞穂ヶ丘中学校
- みずほヶ丘幼稚園
