高畠勉

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愛称 ツト、ツトさん、つとむくん
カタカナ タカハタ ツトム
ラテン文字 TAKAHATA Tsutomu
国籍 日本の旗 日本
高畠 勉
名前
愛称 ツト、ツトさん、つとむくん
カタカナ タカハタ ツトム
ラテン文字 TAKAHATA Tsutomu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-06-16) 1968年6月16日(57歳)[1]
出身地 大阪府高槻市[1]
身長 173cm[2]
体重 65kg[2]
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1984-1986 日本の旗 北陽高校
1987-1990 日本の旗 大阪体育大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1995 日本の旗 富士通
監督歴
2008 日本の旗 川崎フロンターレ
2010 日本の旗 川崎フロンターレ
2014-2015 日本の旗 Jリーグ・アンダー22選抜
2016 中華人民共和国の旗 河北華夏幸福(ユース)
2022 中華人民共和国の旗 海南之星
2023 中華人民共和国の旗 武漢三鎮
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

高畠 勉(たかはた つとむ、1968年6月16日 - )は、大阪府高槻市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

北陽高校から大阪体育大学を経て、1991年に富士通に入社。当時日本サッカーリーグ2部に所属していた富士通サッカー部(現:川崎フロンターレ)で選手としてプレーし、1995年シーズンを以て引退した。

1996年よりチーム名を変更した富士通川崎フットボールクラブのコーチに就任。2000年より川崎の育成部コーチ、2001年よりトップチームのコーチを歴任した[1]。2007年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得。

2008年4月、監督の関塚隆が健康不安を理由に辞任し、後任監督に就任した。急な監督就任であったため連携面の熟成には至らず、多分に外国人選手の個人技に頼ったサッカーではあったものの、長年3バックを用いてきた川崎に4バックを採用するなど、関塚のサッカーを引き継ぎつつも独自の戦術で優勝争いを展開し、チームは最終的に2位まで躍進した。

2009年には体調が回復した関塚の監督復帰に伴い、一度はヘッドコーチ職に復帰。シーズン終了後、タイトルを逃した事を理由に契約更新を断って辞任した関塚に代わり、2010年シーズンから再度川崎の監督に就任した。しかし、シーズン途中に川島永嗣鄭大世レナチーニョらの主力が相次いで海外移籍した影響もあって苦戦。タイトルは獲得できず、リーグ戦順位も5位に終わってAFCチャンピオンズリーグ出場権を逃し、同年限りで退任した。

2011年より川崎のアカデミーテクニカルディレクターに就任[1]。2012年より川崎の育成・普及部長に就任[1]

2013年よりU-17日本代表コーチ兼U-18日本代表アシスタントコーチに就任[3]

2014年1月29日、川崎の育成・普及部長を退任して、Jリーグ・アンダー22選抜の監督に就任した[3][1]。なお、前年にJリーグ・アンダー22選抜の監督に内定していると報じられていた[4][5]。また、当初、Jリーグ・アンダー22選抜の監督に専念していたが、その後、U-21日本代表コーチも兼任することになった。

2016年1月2日、中国・河北華夏幸福のユースチーム監督に就任したことを発表した[6]

2020年10月、広州恒大U17ユースチーム監督に就任。

2022年、中国乙級リーグ・海南之星の監督に就任。

2023年6月、中国超級リーグ・武漢三鎮の監督に就任。[7]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦JSL杯天皇杯期間通算
1991-92富士通17JSL2部17200
1992旧J1-
1993-
1994旧JFL-
1995-
通算日本JSL2部 17200
日本旧JFL -
総通算

指導歴

監督成績

年度クラブ所属リーグ戦カップ戦
順位勝点試合ナビスコ杯天皇杯
2008川崎J12位52271647予選リーグ5回戦
20105位543415910ベスト44回戦
2014J・U-22J310位33339618--
  • 2008年は4月より指揮(順位は最終順位)。

関連項目

参考文献

脚注

外部リンク

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