高祖和弘
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| 名前 | ||||||
| カタカナ | コウソ カズヒロ | |||||
| ラテン文字 | KOSO Kazuhiro | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1959年3月6日(66歳) | |||||
| 出身地 | 佐賀県佐賀郡川副町 | |||||
| 身長 | 179cm | |||||
| 体重 | 75kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | GK | |||||
| ユース | ||||||
| 1974-1976 |
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| 1977-1980 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1981-1991 |
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| 監督歴 | ||||||
| 2000-2001 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
高祖 和弘(こうそ かずひろ、1959年(昭和34年)3月6日 - )は、佐賀県佐賀郡川副町(現在は佐賀市川副町)出身[1]の元サッカー選手、サッカー指導者。
小学6年生のときにサッカーを始め、ポジションは当時からゴールキーパーだった[2]。佐賀東高校、天理大学を経て、1981年より松下電器産業サッカー部に在籍[3]。1988年からはコーチを兼任し[3]、1991年に現役を引退[2]。
1992年から1997年まで松下電器の後身となるガンバ大阪でGKコーチを務める。1999年、妻の出身地であるブラジルで1年間を過ごす[2]。2000年にサガン鳥栖の監督に就任。この年はなかなかの健闘を見せ6位でシーズンを終える。しかし、2001年は戦力低下に伴い苦戦を続ける。慢性的な経営不安に陥っていた親会社は、地元出身である高祖にクラブ社長への就任を打診。一度は社長就任が正式に発表されたが、後に辞退した。この年のシーズン終了後に監督を解任された。
清水エスパルスにて強化スタッフ、育成部門コーチを経て[2]、2005年から履正社医療スポーツ専門学校サッカーコース長兼サッカー部監督を務めている[2]。