高鈴山
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北の神峯山(598m)から高鈴山を通り、多賀山地南端の風神山(241.9m)にかけての稜線が、高鈴県立自然公園に指定されている[2]。
多賀山地南部の最高峰で、関東平野側から見える一番高い山で、隣の神峯山が尖峰であるのに対し、なだらかな山容である。特徴の無い形だが、山頂にレーダー雨量観測の巨大なコンクリート製の塔が立っているのが目印である。山頂まで舗装林道が敷設されており、車両での登頂も可能である。山頂には、展望台、一等三角点、天測点、トイレ、駐車場などがあり、雨量観測塔のほか、電波中継塔などが林立している。
人工物が多くて興をそぐが、展望はすばらしく、筑波山・加波山など、北方は、茨城県北部の山並み(奥久慈男体山や八溝山など)や、遠景に、那須連山まで見渡せる。
高鈴山は、花の百名山に選定されていて、代表する花としてセンブリが紹介されている[3]。 山頂の北に続く尾根に、御岩山があり、岸壁や奇岩となっている。
地形・地質
日立鉱山
高鈴山北面の宮田川上流の結晶片岩地域には、黄鉄鉱や黄銅鉱を産出する含銅硫化鉄鉱床があり、江戸時代には赤沢銅山(日立村)といわれていた。
明治になり1905年に、久原房之助が赤沢銅山を再興し、日本屈指の銅鉱山の日立鉱山に発展した。本山地区が採掘の中心で、高鈴山地下では、本坑・赤沢・高鈴鉱床があった。本山地区を中心に、鉱山集落が発達し、鉄道も引かれ、日立市の鉱工業発展の発祥の地となった。太平洋戦争から戦後にかけて最盛期を迎え、7,000余人がこの山中に住んでいたが、1981年に、資源枯渇により日立鉱山は閉山した。1929年以降は日本鉱業(現在のJX金属)の経営下にあった。
鉱山閉山後、日立鉱山の鉄道や施設は撤去され、集落も消滅し、元の自然の山に戻っている。本山地区の再開発による「日立市もとやま自然の村」は休憩・宿泊施設の整った市民憩いの広場である(現在は閉鎖[4])。鉱山本坑跡には「日鉱記念館」が建てられ、鉱山の在りし日の姿を展示している。
御岩山
古くは『常陸国風土記』に「賀毘禮(かびれ)の峰」として述べられている信仰の山で、もともとは修験道の山であった。山麓に徳川光圀なども参拝した御岩神社(江戸時代は御岩山大権現)があり、山頂には奥の院がある。近年、その岸壁がロッククライミングの場にされ、御神体へのボルト打ち許可使用が頻発していた。2014年頃から「山雀」を名乗るハイカー等が無許可整備、違法ルート案内が横行し2015年頃から登山者や一般人による植物、岩石の盗掘損傷、ペンキ塗り、事故、遭難が多発した。山頂付近の岩場は地権者、行政、警察の協議により立ち入りが禁止されている(ロッククライミング、ボルダリングも含め禁止)。
神社には、県指定天然記念物「御岩神社の三本杉」がある。
登山道
- 本山トンネルから御岩山経由で、登るルート。
- 風神山から尾根づたいにくるルート。
- 茨城県道37号日立常陸太田線から分岐する林道を登るルート(林道は山頂まで延びており、自動車やバイク・自転車などの車両でも登頂することができる)。
