鹿塩駅

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所属路線 今津線
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
鹿塩駅
かしお
Kashio
HK-26 小林
仁川 HK-25
所属事業者 阪急電鉄
所属路線 今津線
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1943年昭和18年)12月15日
廃止年月日 1945年(昭和20年)9月21日
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鹿塩駅(かしおえき)は、かつて兵庫県武庫郡良元村(現在の宝塚市)の京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄今津線上に存在した

鹿塩駅ホーム

輸送力の増強

川西航空機(現・新明和工業)は1941年(昭和16年)12月より新工場として宝塚製作所の稼働を始めていた[1]第二次世界大戦1943年(昭和18年)12月、同工場への通勤客輸送を図るべく、小林駅 - 仁川駅間に鹿塩駅が開設された。場所は金龍寺の裏手に当たる地点[要出典]で、相対式ホームが設置されていたとされる。

営業時間は通勤時間帯の朝夕に限られていた[2]が、軍需輸送の絡みで利用客数は多く、最大時は一日に4万人の利用[要出典]があったとされる。

今津線では従来、1926年(大正15年)西宝線の今津駅延伸時に買い入れた90形が単行で運用されていた。この90形は1944年(昭和19年)7月にモーターを降ろし、制御車[注 1]として600形と2両編成で運用されるようになった。この増強は川西航空機宝塚工場へ通う利用者の激増対策だったとされる[3]

廃止の経緯

川西航空機宝塚工場は終戦直前の1945年(昭和20年)7月24日に大規模な空襲に遭い、壊滅的被害を被った。8月15日玉音放送による帝國陸海軍組織的行動終了により川西航空機改め第二軍需工廠は完全に機能を停止。役目を終えたとみなされ、降伏文書調印後の同年9月21日付で廃駅とされた。

戦後、川西航空機宝塚製作所跡地に阪神競馬場が建設されたが、競馬場へのアクセス、および川西改め明和興業(めいわこうぎょう、現・新明和工業)本社工場への通勤輸送はすべて仁川駅に集約され、当駅は再開されなかった。跡地には古枕木が積み重ねられわずかに駅があったことの面影を残していた[要出典]が、コロナ禍中の2020年(令和2年)に撤去[要出典]され、姿を消した。

沿革

隣の駅

脚注

参考文献

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