黄金井オサム
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- 1977年 - 12歳。新宿ウィッシュボンにてステージデビュー。
- 1980年 - 15歳。銀座クラブ「姫」の中西五郎の指導の下、クラブ歌手活動開始。
- 1986年 - 横田基地(在日米空軍基地)に在籍してアメリカの音楽に身を委ねる。
- 1989年 -ボイストレーナーのセスリッグスに入門の許可を得て渡米。
- 1992年 - ファーストシングル『南風のGipsy』が徳間ミュージックコミュニケーションズより発売。
- 1995年 - アンティノスマネージメント(ソニー) 作詞・作曲家として所属。
- 1998年 - ファーストアルバム『SuaveSuaveSuave』をユニバーサルより発売。
- 1999年 - フジロックフェスティバル(グリーンステージ最初の演奏者であるが公式HPに記載されていない)等、どこの事務所にも属さず数々のステージに登場した。
- 2000年以降 中森明菜、東山紀之、等のツアーにバックミュージシャンとして参加。ロシアのOrigaやキューバ全編ロケの映画に曲を提供しながらアメリカなどでストリートでも演奏。NHKで他のアーティスト取材中に黄金井修が演奏している姿が放映された。国外ではインド、中東、ロシア、中国、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、国内では稚内から沖縄まで、営業をかけるのではなく招聘されては参じてゆくスタイルを貫いた。
- 現在 変わらぬ独特な演奏スタイルで、神社仏閣での演奏や10回を超えるような再演が多いのも特徴である。例えば毎年行われている~ 世界遺産宮島嚴島神社 黄金井修 奉納 コンサート ~は彼のオリジナル曲「白い骨」を聞いた人のリクエストに応え、原爆投下日(8月6日)に原爆ドームで開催される「地球ハーモニーコンサート」にて、2001年より3年間灯篭の流れる時に演奏した事がきっかけ。もう自分の役割は終わったと他の人を推薦したところ、「では来年からは宮島で聞きたい」という地元の意志による希望で、翌2004年より毎年5月第三週の土曜日に国宝高舞台にて演奏している。コンサート各会場での客席は涙と笑いが絶えずで面白いエピソードで溢れている。[3]
ディスコグラフィー
- 「南風のGipsy」(1992年/徳間ミュージックコミュニケーションズ)
- 「SuaveSuaveSuave」(1998年/ユニバーサル)
- 「阿弥陀~a mida ~」(2001年/ユニバーサル)
- 「Luna」(2002年/ビクター)ビクター
- 「Nibbana」(2004年/ネオプレックス)
- 「Chan」(2007年/OKカンパニー)
- 「Jadaveda」(2007年/OKカンパニー)
- 「Manusa」(2007年/OKカンパニー)
- 「朧~obolo~」(2010年)
- 「Yesterday,Today&Tomorrow」(2016年)
- 「魂民~TamaTami~」(2017年)