ダンボ
1941年公開のアメリカ合衆国のアニメーション映画
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『ダンボ』(Dumbo)は、1941年のアメリカ合衆国のファンタジー映画。1939年に発表された物語『空飛ぶ象・ダンボ』(Dumbo,the Flying Elephant)に基づいており、サーカスの子象・ダンボの成長を描く。製作総指揮をウォルト・ディズニーが務め、監督はベン・シャープスティーンが担当した。
| ダンボ | |
|---|---|
| Dumbo | |
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| 監督 | ベン・シャープスティーン |
| 脚本 |
ジョー・グラント ディック・ヒューマー |
| 原作 |
ヘレン・アバーソン=メイヤー ハロルド・パール |
| 製作総指揮 | ウォルト・ディズニー |
| 出演者 |
エドワード・ブロフィ ハーマン・ビング |
| 音楽 |
オリバー・ウォレス フランク・チャーチル |
| 撮影 | ボブ・ブロートン |
| 制作会社 | ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ |
| 製作会社 | ウォルト・ディズニー・プロダクション |
| 配給 |
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| 公開 |
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| 上映時間 | 64分 |
| 製作国 |
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| 言語 | 英語 |
| 製作費 | $950,000[2] |
前作『ファンタジア』などでの赤字を補うために制作されたこともあり、作風等はシンプルさが意図的に追求されたほか、上映時間は64分と他の長編作品より短い。公開されると批評家からは絶賛され、アカデミー賞ミュージカル音楽賞など、数々の賞を受賞した。日本では1954年に公開され、日本語吹き替えが初めて製作された海外アニメーション作品としても知られる[3]。
2017年には「文化的・歴史的・芸術的にきわめて高い価値を持つ」とみなされ、アメリカ国立フィルム登録簿に登録された[4]。
ストーリー
舞台はアメリカ。サーカス団は本拠地のあるフロリダを出発しサーカス列車で旅をしている。そのサーカスの象のジャンボのもとに、コウノトリが一匹の赤ちゃん象を届ける。その子象はとても可愛らしかったが、唯一耳が大きいことが他の象との違いであった。ジャンボはその子象にジャンボ・ジュニアと名づけたが、他の象たちに耳のことを笑われ、ダンボとあだ名されてしまう。
それでもジャンボは愛情をたっぷり注ぎ、可愛い我が子ダンボを大切に育てた[注 1]。ある日、興行先でサーカスを見に来た子供にダンボがイタズラされているのを見て、ジャンボはたまらずその子供をお仕置きする。サーカス団員がそれを止めに来るが、興奮したジャンボは思わず団長を投げ飛ばしてしまい、凶暴な象として檻に入れられてしまう。
耳が大きいだけで化け物扱いされたダンボは誰にも慰めてもらえず、生まれた直後から母親から引き離されるという苦しさの中から、悲しみのどん底に落ちる。これを放っておけなかったサーカス団員のネズミ、ティモシー(チモシーマウス)はダンボを助けるため、ダンボをサーカスのスターにすることを提案する。最初に象のピラミッドの頂上へジャンプさせるショーを思いついたティモシーは、団長の耳元でそれを提案し、早速それが採用される。だが、その本番中に踏切台へ向かって走っていたダンボは耳を踏んでしまい、ジャンプに失敗。象のピラミッドにぶつかった拍子でテントがずたずたに壊れてしまうという大惨事を引き起こしてしまう。興行を大失敗させてしまったダンボは、そのあてつけがてらにピエロにされ、ピエロショー[注 2]に出る羽目に。完全にサーカス団の笑われ者に追いやられてしまう。
失意の中、ティモシーの計らいでジャンボと束の間の再会を果たして慰めてもらうが、それでもまだ気が晴れないダンボは、泣いているうちにしゃっくりが止まらなくなった。ティモシーは、「水を飲めばすぐに止まるよ」と言ったためダンボはバケツの水を飲むが、実はピエロショーが成功したお祝いにピエロたちが飲んでいたお酒が入った水で、その水を誤って飲んでしまう。さらにしゃっくりが止まらないことを不思議に思ったティモシーも半ば事故で酒入り水を飲んでしまい、2匹は酔っ払って踊るピンクの象の夢を見る。そして、翌朝。目が覚めると2人は木の上で眠りこけていた。それがきっかけで、ティモシーはダンボが耳を翼代りにして空を飛べることに気がつき、ダンボを空から飛び立たせようとするが、木の上に住むカラスたちからも嘲笑われる。ダンボの哀れな身の上を激白してカラスの浅はかな行いに憤るティモシーの言葉に胸打たれたカラスたちは改心し、「空を飛べるようになれる魔法の羽」をダンボに授けた。魔法の羽を鼻先で握り締めたダンボは、促されるまま崖から飛び降り見事大空へと飛び立つ。
そして、サーカスのピエロショーの舞台に再び立ったダンボは飛び降りる最中に魔法の羽を飛ばしてしまうも、それは実はただの羽でカラスたちがダンボを励ますためのおまじないであった。本当に空を飛べたダンボは大勢の観客やサーカスの面々の前で華麗な飛行を披露した。思わぬ形でショーを成功させたダンボは、たちまち世界中から称賛されるサーカスの花形スターとなり、ジャンボとも再会を果たし、カラスたちに別れを告げてサーカスの向かう次の街に旅立つのだった。
キャラクター

- ダンボ(Dumbo)
- 主人公。大きな耳を持つ象の赤ちゃん。言葉は喋らない。
- 大きな耳を馬鹿にされ、そのことが原因で母親のジャンボと離ればなれになったうえ、芸も失敗し仲間外れにされるなど辛い日々を送る。
- ティモシーの励ましや助けなどを経て、耳を翼のようにして空を飛べるようになり、短所を長所として活かすことに成功。最後はサーカスのスターになる。
- ジャンボ(Mrs. Jumbo)
- ダンボの母親。周囲から嘲笑を受けるダンボを守り、愛情いっぱいに育てることを決意する。
- ある日、サーカスに来たいたずらっ子がダンボの耳をからかったことで激怒。懲らしめようと暴れてサーカス小屋を壊してしまい、危険な象として檻に閉じ込められてしまう。
- ダンボがスターとなった後は檻から出され、無事ダンボと再会することとなった。
- ティモシー(Timothy Q. Mouse)
- 鼓笛隊の格好をしたネズミ。帽子の中に好物のピーナッツを携帯している。
- ジャンボが檻に閉じ込められた後、他の象たちから陰口をたたかれ一人ぼっちのダンボを憐れみ、面倒を見ることを決意。馬鹿にした象たちを驚かせた後でダンボを励まし、ダンボの親友となる。
- 彼を勇気付けスターにするために奔走する。ダンボと共に誤って飲んだ酒で泥酔したことを機にダンボが空を飛べることに気付き、彼をサーカスのスターにさせることに成功。
- 物語終盤では、ダンボのマネージャーとしてハリウッドとも契約した。
- コウノトリ(Stork)
- 赤ちゃんを運ぶコウノトリ。序盤に登場。ダンボを運んでいたコウノトリは悪天候とその重さで遅くなってしまっていた。
- 象たち
- ジャンボのサーカス仲間である4頭のおばさん象たち。全員嫁入り前で、よく周囲の不平不満に関する話で花を咲かせている。しかしショーやテント設営の際は比較的まじめに働いている。
- 作中で名前はないが、紅色の被りものをするリーダー格の象はメイトリアーク(Matriarch、“女家長”の意)、緑色の被りものをする象はキャティ(Catty、“コソコソと意地の悪い”の意)、青色の被りものをする象はギディ(Giddy、“軽薄/浅はかな”の意)、橙色の被りものをする副リーダー格の像はプリシー(Prissy、“堅苦しい/やかまし屋”の意)という通称がある。
- 最初はダンボを可愛がるが、その大きい耳を見た途端に態度が一変。嘲笑してダンボを仲間外れにし、ダンボの事故のせいでサーカスで失敗して怪我を負った後は、ダンボを「象の恥晒し」として口を効かない事を誓い立てた。
- ネズミが苦手で、その陰湿な態度に腹を立てたティモシーに散々脅かされる。物語終盤では、ダンボが公演中に空を飛んだ際には他のサーカス団員と共に驚愕し、さらにダンボから、ピーナッツをマシンガンの如く撃ち浴びせられる報復を受けた。
- 団長(Ringmaster)
- 小太りの中年男性。口ひげをはやしている。
- サーカスを大きくするために色々思案するが、ティモシーいわく「当たったためしがない」。
- いたずらっ子へ激怒したジャンボを狂暴になったと勘違いし鞭を打ったことで、ジャンボがさらに暴れ隔離される原因を作ることとなった。
- いたずら少年
- ダンボの耳をからかって、ジャンボにお仕置きされた。
- ケイシー・ジュニア(Casey Junior)
- 蒸気機関車。元は『リラクタント・ドラゴン』に登場したキャラクターで、今作ではサーカスで使用する列車として登場した。
- テーマソングの『ケイシー・ジュニア』(Casey Junior)と共に走る。ダンボが人気者になったお祝いに専用車両が作られる。
- カラスたち
- 酔いつぶれ木の上で寝ていたダンボとティモシーを発見した五羽のカラス。
- ダンボが空を飛べると話すティモシーを嘲笑うが、ダンボの身の上を聞かされると軽薄な振る舞いを素直に反省し、一転してダンボが自ら空を飛べるよう協力する。
- 作中では名前がないが、リーダー格で葉巻を吸うカラスはダンディ・カラス(Dandy Crow)という名が付けられている[注 3]。他の4羽は、その外見から牧師・カラス(Deacon Crow)、デブ・カラス(Fats Crow)、眼鏡・カラス(Specks Crow)、帽子・カラス(Dopey Crow)という名がある。
声の出演
| 役名 | 原語版声優 | 日本語吹き替え | |||
|---|---|---|---|---|---|
| 1954年初公開版[5] | 1983年再公開版 | ソフト版 (現行版) | TBSテレビ版[6] | ||
| ティモシー | エドワード・ブロフィ | 坊屋三郎 | 三田松五郎 | 牛山茂 | 井上順 |
| 団長 | ハーマン・ビング | 古川緑波 | 阪脩 | 内田稔 | 森山周一郎 |
| コウノトリ | スターリング・ホロウェイ | 三木鶏郎 | はせさん治 | 関時男 | 熊倉一雄 |
| ジャンボ | ヴェルナ・フェルトン | 丘さとみ | 眞理ヨシコ | 磯辺万沙子 | 松田敏江 |
| 象のメイトリアーク | 七尾伶子 | 瀬能礼子 | 久保田民絵 | 丹下キヨ子 | |
| 象のキャティ | ノリーン・ガミル | 田村淑子 | 牧野和子 | 北城真記子 | 清川虹子 |
| 象のギディ | ドロシー・スコット | 安双三枝 | 太田淑子 | 一柳みる | 小原乃梨子 |
| 象のプリシー | サラ・セルビー | 大坪日出代 | 小宮和枝 | 土井美加 | 麻生美代子 |
| ダンディ・カラス | クリフ・エドワーズ | 安西正弘 | 中村雄一 | 山崎唯 鈴木やすし 滝口順平 大竹宏 | |
| デブ・カラス | ジェームズ・バスケット | 永井寛孝 | 片岡弘貴 | ||
| メガネ・カラス | ジム・カーマイケル | 山崎哲也 | 橋本友之 | ||
| 帽子・カラス | 島田敏 | 吉水慶 | |||
| 牧師・カラス | ホール・ジョンソン | 伊沢弘 | 金房求 | ||
| ジョー | ビリー・シーツ | 槐柳二 | 八奈見乗児 | ||
| ピエロたち | ビリー・ブレッチャー エディ・ホールデン ジャック・マーサー | 市村俊幸 千葉信男 | 八代駿 沢りつお | 金房求 江川久仁夫 重留定治 | 田の中勇 二見忠男 八代駿 飯塚昭三 |
| 呼び込み人 | 玉置宏 | ||||
| いたずら少年 | マルコム・ハットン | 後藤真寿美 | 水森亜土 | ||
| 男の子たち | ハロルド・マンリー トニー・ニール チャック・スタッブス | 下川久美子 | |||
| 原語音声流用 | |||||
| ケイシー・ジュニア | マーガレット・ライト | 竹脇昌作 | 具志堅用高 | ||
| ダンボ | ジャック・サベル | 原語音声流用 | 大場久美子 | ||
| アナウンサー | ジョン・マクリーシュ | 竹脇昌作 | 村越伊知郎 | 小山武宏 | 古谷綱正 |
| ナレーション | 河野洋平 黒柳徹子 | ||||
スタッフ
| 製作 | ウォルト・ディズニー | |
| 原作 | ヘレン・アバーソン、ハロルド・パール | |
| 脚本 | ジョー・グラント、ディック・ヒューマー、ビル・ピート、オーリー・バタグリア、ジョー・リナルディ、ジョージ・スターリング、ウェッブ・スミス | |
| 脚本監修 | オットー・イングランダー | |
| 音楽 | オリヴァー・ウォーレス、フランク・チャーチル | |
| オーケストレーション | エドワード・プラム | |
| キャラクター・デザイン | ジョン・P・ミラー、マーティン・プロヴェンセン、ジョン・ウォルブリッジ、ジェームズ・ボドレロ、モーリス・ノーブル、エルマー・プラマー | |
| 作画監督 | ダンボ | ウォード・キンボール、ジョン・ラウンズベリー、ビル・ティトラ |
| ケイシージュニア | ウォード・キンボール | |
| ティモシー | フレッド・ムーア、ウォルフガング・ライザーマン | |
| コウノトリ | アート・バビット | |
| フランク・トーマス | ||
| レイアウトチェック | ドン・ダグラディ、アル・ジンネン | |
| 原画 | エリック・ラーソン、ヒュー・フレイザー、ハワード・スウィフト、ハーヴィー・トゥームズ、ドン・タウスリー、ミルト・ニール、レス・クラーク、ヒックス・ローキー、クロード・スミス、バーニー・ウルフ レイ・パターソン、ジャック・キャンベル、グラント・シモンズ、ウォルト・ケリー、ジョシュア・メダー、ドン・パターソン、ビル・シャル、サイ・ヤング、アート・パーマー | |
| 美術監督 | ハーブ・ライマン、ケン・オコーナー、テレル・スタップ、アーネスト・ノードリ、ディック・ケルシー、チャールズ・ペイザント | |
| 背景 | クロード・コーツ、アル・デンプスター、ジョン・ヘンチ、ジェラルド・ネヴィアス、レイ・ロックレム、ジョー・スターリー | |
| 撮影 | ボブ・ブロートン | |
| 録音 | ウィリアム・E・ギャリティ | |
| 音響効果 | ジム・マクドナルド | |
| 特殊音響効果 | Sonovox | |
| 編集 | ロイド・L・リチャードソン | |
| 助監督 | リチャード・ライフォード、ラリー・ランズバーグ | |
| 演出 | ノーム・ファーガソン、ウィルフレッド・ジャクソン、ビル・ロバーツ、ジャック・キニー、サム・アームストロング | |
| 監督 | ベン・シャープスティーン | |
| 制作 | ウォルト・ディズニー・プロダクション | |
日本語版
- 字幕翻訳: 佐藤恵子
| 吹き替え | 1954年版 | 1983年版 | ソフト版 (現行版) | TBSテレビ版 |
|---|---|---|---|---|
| 演出 | 高瀬鎮夫 | 金田文夫 | 山田悦司 | |
| 翻訳 | トランスグローバル | |||
| 音楽演出 | 三木鶏郎 | 近衛秀健 | ||
| 訳詞 | 海野洋司 | 三木鶏郎 海野洋司[注 4] | 三木鶏郎 | |
| 整音 | 日本ビクター | 杉原日出弥 | ||
| 録音 | 東亜映像録音 | 紀尾井町スタジオ | ||
| プロデューサー | 田村幸彦 | 岡本企美子 | 熊谷国雄 | |
| 制作総指揮 | ジャック・カッティング | ブレイク・トッド | N/A | N/A |
| 録音制作 | 日本ビクター | 東亜映像録音 | トランスグローバル | |
| 日本語版制作 | 大映 ウォルト・ディズニー・スタジオ | ウォルト・ディズニー・スタジオ | Disney Character Voices International, Inc. | TBS |
楽曲
| 全作詞: ネッド・ワシントン、全作曲: オリヴァー・ウォーレス、フランク・チャーチル。 | |||
| # | タイトル | オリジナル・アーティスト | |
|---|---|---|---|
| 1. | 「コウノトリにご用心」(Look Out for Mr. Stork) | ザ・スポーツマン | |
| 2. | 「ケイシー・ジュニア」(Casey Junior) | ザ・スポーツマン | |
| 3. | 「テント張りのうた」(Roustabouts) | ザ・キングス・マン | |
| 4. | 「私の赤ちゃん」(Baby Mine) | ベティー・ノイズ | |
| 5. | 「ピンク・エレファンツ・オン・パレード」(Pink Elephants on Parade) | ザ・スポーツマン | |
| 6. | 「道化の歌」(Hit the Big Boss (For a Raise)) | ビリー・ブレッチャー、エディ・ホールデン、ビリー・シーツ | |
| 7. | 「もし象が空を飛べたら」(When I See an Elephant Fly) | クリフ・エドワーズ、ホール・ジョンソン合唱団 | |
| 8. | 「フィナーレ (もし象が空を飛べたら)」(When I See an Elephant Fly (Reprise)) | コーラス | |
日本語吹き替え版では、以下のグループが歌唱を担当している。
- 雑唱団(1954年版)
- ミュージック・クリエイション(1983年版)
- ボニージャックス(TBS版)
日本語歌詞(訳詞)に関して、1954年版吹き替えでは三木鶏郎、1983年版吹き替えでは海野洋司が担当している。TBS版吹き替えとソフト版(現行版)吹き替えは三木の訳を流用しているが、ソフト版では「ピンク・エレファンツ・オン・パレード」のみ海野による訳を使用している。なお、ディズニーが発売するコンピレーション・アルバムなどに収録される本作の日本語版楽曲は、すべて海野の訳を採用している。
サウンドトラック(日本)
- 『ダンボ』(日本ビクター、1954年)S-1017 ※1954年版吹き替えを抜粋し収録。
- 『ダンボ オリジナル・サウンドトラック デジタル・リマスター盤』(ユニバーサル ミュージック、2018年11月14日発売)UWCD-8003
製作
企画
『ダンボ』は、ヘレン・アバーソン=メイヤーと夫のハロルド・パールによって書かれた物語『空飛ぶ象・ダンボ(Dumbo,the Flying Elephant)』を原作としている[7][8]。二人は共同執筆した物語をロール・ア・ブック社に売却し、1939年にヘレン・ダーニーの挿絵を加えたものが出版された。なお、同社による、この“ロール・ア・ブック”シリーズは、「物語と12点ほどのイラストが、箱の中に収められた小さな巻物に描かれていた」というもので、縦に巻き取りながら読む玩具のような珍しい児童書であり、シリーズは『空飛ぶ象・ダンボ』を含め2作しか発表されなかったほか、ウォルト・ディズニー・アーカイブスも現存せず「原本のまま出版されることはなかった」とされることもある[9]。
1939年、ウォルト・ディズニー・プロダクションの商品ライセンス部責任者だったケイ・ケイメンとストーリー部門を統括していたジョン・クラーク・ローズが「新しいおもちゃの商品化をしようとしていた人」から試作品の“ロール・ア・ブック”シリーズを紹介される。後日、「“ロール・ア・ブック”そのものは置いておいて、この物語がまさに制作に使える」と感じたローズがウォルト・ディズニーへ勧めたとされ、心温まる物語に惹かれたウォルトは、即座に『空飛ぶ象・ダンボ』の全権利をロール・ア・ブック社から買い取った[10]。
翌1940年4月28日、『空飛ぶ象・ダンボ』はアメリカ合衆国著作権局に登録され、ロール・ア・ブック社からディズニーへの正式な著作権譲渡も同時に行われた[10]。
脚本
当初は短編映画にする予定だったが、ウォルトはすぐ「この原作を映画化するには長編にする必要がある」と気づいた[11]。これにより、ストーリー・アーティストのディック・ヒューマーとジョー・グラントが、プロットを長編映画に仕上げる任務を与えられた。
1940年1月22日から3月21日にかけ、ディックとジョーは102ページの物語の概要を、書籍のように章立てで書いた。二人は、コウノトリの配達シーンやピンクの象のシーンを考案し、ダンボの母親の名前を“マザー・エラ”から“ジャンボ”に変更。他にも、原作に登場する賢いコマドリのレッドを、冗談好きなネズミのキャラクター・ティモシーへと置き換え、新キャラクターとしてカラスを登場させた。これらのアレンジやオリジナル・ストーリーの追加により、物語は原作の5倍以上の長さになった。ただし、これらの点以外はアレンジすることはなく、原作にほぼ忠実となった[12]。
アニメーション
当時のウォルト・ディズニー・スタジオは、第二次世界大戦の影響もあり『ピノキオ』と『ファンタジア』が興行的に失敗していた。そのため、『ダンボ』はスタジオに収益をもたらすことを目的とし、意図的に低予算で製作されることとなった[13]。1941年初頭に製作が始まると、ウォルトは監督のベン・シャープスティーンへ「シンプルかつ低コストにするように」と指示したという[14]。
ウォルトの意向から、過去の長編作品でスケジュールを遅らせ予算を膨らませた特殊効果は敢えて採用せず、キャラクターデザインはよりシンプルに、背景画はより簡素になった[15][11]。
アニメーションには多数のセル画が使用された。本作は過去のディズニー作品よりも「カートゥーン的」にしている一方で、アニメーターたちは象などの動物をスタジオに持ち込み、その動きを研究しアニメーションを描き起こした[11]。
背景には、水彩絵具を使用。 これは、油絵具とガッシュが使用されることの多いディズニーの長編アニメーションの中では珍しかった[16]。
1940年2月27日、『バンビ』のストーリー会議において、ウォルトは『ダンボ』が「明らかなストレート・カートゥーン」であり、『バンビ』に割り当てられたアニメーターたちは『ダンボ』の作風に適していないと指摘した。そのため、経験の浅いアニメーターたちがキャラクターのアニメーションを担当することになった[15]。一方で、アート・バビットやウォード・キンボールといったベテランのアニメーターは、本作へ起用された[15]。キンボールは、ウォルトが駐車場で彼に話しかけ、わずか5分で物語全体を伝えたといい「彼の話を聞きながら、この映画は成功すると確信した。全てが完璧に聞こえたからだ。素晴らしいプロットだった」と回想している。また、スタジオのトップアニメーターの一人だったビル・ティトラがダンボのアニメーション監督を担当したが、これは「スピード重視で急いで完成させるための起用だった」という[17]。
スケジュールを迅速化するため、ウォルトは原画の代わりにストーリースケッチのフォトスタットを使用しており、経験豊富なアニメーターには、配属された若くキャリアの浅いアニメーターたちを監修させた[17]。
ストライキ
1941年5月29日、ディズニーのアニメーションスタッフの多くがストライキを起こしたため、映画の制作は一時的に中断された[18]。作中でピエロたちが上司に昇給を求めたシーンは、これを暗示していると解釈する者もいる[19]。しかし、アニメーターでストライキの主催者でもあるアート・バビットは「ストライキ前にこのシーンのアニメーターを任されていた」と、これを否定しており「人々はそこで起こったことに政治的な意味を見出しました。『ストライキをしよう』といった具合です。当時はストライキのことなど考えていませんでした。実際、強制されなければストライキなど起きなかったでしょう」と話している[20][21]。
1941年9月11日、完成。同日に配給会社であるRKOピクチャーズに納品された[22]。RKOは当初、映画の64分という短さに難色を示し、ウォルトに10分のシーン追加を要請した。しかし、ウォルトは「いや、これ以上は無理だ。ここまで延ばせば、もう無理だ。映像はそのままでいい。さらに10分追加すると50万ドルかかるだろう。そんな余裕はない」と拒否し、そのまま公開されることとなった[23]。
映画の制作費は95万ドル(2024年の2031万ドルに相当)[2]。『白雪姫』の半分、『ピノキオ』の3分の1以下と、当初の予定通り低予算となった。
公開
初公開時、第二次世界大戦の勃発にもかかわらず奇跡的な成功を収め、1940年代で最も興行的に成功したディズニー映画となった。『ダンボ』は最終的に、公開当初の興行収入でおよそ130万ドル(2024年の3420万ドルに相当)を超えた[24]。また、スタジオには85万ドルの利益を上げた[23]。
その後は1949年、1959年、1972年、1976年に再公開された[25]。
日本での公開
日本では、1954年3月12日に大映の配給により日本語吹き替え版で公開された(後述)。
1967年、1974年に再公開されたほか、1983年8月には吹き替えを一新し、東宝の配給で公開された。
日本でのテレビ放映
1978年10月6日、TBSテレビ系列でノーカット放送された。当時、ディズニーと独占契約を結んだTBSによるディズニー作品放送の第一弾で、劇場用作品としては、アメリカ国外でテレビ放送された初の作品となった[26]。また、その際の日本語吹き替えはダンボの声を大場久美子が担当し、他にも黒柳徹子や新自由クラブ代表(当時)の河野洋平[27] 、具志堅用高などが出演した。
その後は地上波で何度か再放送された。
地上波のほか、1994年11月にはWOWOW『夢の国ディズニー スペシャルデー』枠で放送されている(吹き替えは1983年版)。
初の日本語吹き替え
日本語吹き替えは現在までに4種あるが、1954年の初公開時のものはディズニー・アニメーション初および海外アニメーション初の日本語吹き替え版となった[30]。
当時は“日本語発声版”を謳い公開され、以降のディズニー作品は吹き替えでの公開が主流となった(ただし、当吹き替えはソフト版吹き替え制作後、非公開となっている)。
経緯
第二次世界大戦後の1950年、大映がディズニー作品の配給権を取得し『白雪姫』を字幕版で公開。以降は年に一度のペースでディズニーの長編アニメーションを字幕上映していた[31]。
1953年3月、『シンデレラ』日本公開記念で行われた「日本シンデレラ姫コンテスト」に当選した菱田美恵子(のちの丘さとみ)が副賞として、同年3月20日から4月4日まで渡米し、ディズニー・スタジオを訪問[32]。そこで関係者から「(せっかくだし)その声を残すため、何か歌ってごらん」と言われたため、子守歌を歌い録音したところ、この歌声をスタジオの音楽部長が気に入り、後日、菱田は『ダンボ』の挿入歌「私の赤ちゃん」をアフレコする。これが成功を収めたことで、ディズニーは日本語版製作を決意したという[33]。
また一方で、ウォルト・ディズニーと対面した大映社長(当時)の永田雅一は、ウォルト本人から「既に11か国で吹き替え制作が行われているし、自分のアニメーションを日本語でも録音してほしい」と打診されており、この時、ウォルトの「字の読めない子供たちもディズニー作品を楽しむ権利がある」という一言に胸を打たれた永田はこれを承諾し、大映の洋画部門は日本語版の製作に乗り出した[31]。
製作
ディズニーは製作にあたり、吹き替え制作に従事していたスタジオ技術部長のジャック・カッティングを派遣した。カッティングは日本語が分からなかったものの、楽曲は譜面を暗記していたほか、言葉の響きで日本語の持つニュアンスを理解するなど耳が良く、日本人スタッフが驚き敬意を表するほどだったという[34]。
日本側のプロデューサーには、当時大映に所属し、1931年公開の『モロッコ』で日本初の字幕を手がけたことで知られる田村幸彦が就任した[31]。田村は以前、数本の実写洋画で吹き替え版を製作したものの失敗した経験を持ち、後年に竹松伸子が「実写と違い、漫画なら吹き替えも受け入れられると期待を抱いたのかもしれない」とするなど、熱心に取り組んでいたという[31]。
音楽監督と訳詞は、田村によって三木鶏郎が抜擢された。三木は一旦快諾するも、試写会では「原語版には敵わない」と感じ苦悩したといい、一度は降板を決意したが、田村に「降りること、まかり成らん」「他に人がいない」と言われ、最終的には覚悟を決めたという[31]。台詞部分の監督及び翻訳は、字幕翻訳家の高瀬鎮夫が担当した[35]。
コーラスは、三木の使っていたコーラス隊から永六輔、荻須照之(後のサンリオ専務)、中川雄策(これを機にディズニーのアニメーターとなる)らが起用され、このコーラス隊は“雑唱団”と名付けられた[31]。
収録は、日本ビクターのスタッフとスタジオを借りて行われた[5]。OKを出すか否かはカッティングが決めたといい、一度でOKが出ることもあれば30テイク以上重ねることもあったという[5]。楽曲の録音は技術面の問題もあり、本国のサウンドトラックをイヤホンで聞きながら三木が指揮を執り、それに合わせ歌唱するという手法がとられたという[36]。
三木は後年、全てに苦労したことを明かしつつ、その中で苦労した部分に「もし象が空を飛べたら」の意訳と録音を挙げており、「あの黒人ジャズのフィーリングが独特で日本人には到底無理、サジを投げた」と吐露しているほか、何度録音しても三木の納得する出来にならなかったものの、最後は「オリジナルを知らない人が聴くと面白い」と製作側からOKが出たという[37]。
台詞や歌声のミックス(シンクロ)作業や上映用フィルムの作成は本国のディズニー・スタジオへ録音テープを送り約4か月かけ行われ、日本側のスタッフは輸送から完成までを本国へ委ねることとなった。この時、田村はカッティングから「ディズニー作品として発表する以上、オリジナル版に些かにでも劣っていたら、例え一通りの録音はしてもお蔵入りにしてしまうかもしれない」と脅されていたため不安だったことを後に明かしている[38]。
製作期間は、1953年から1954年1月14日まで。録音から完成までに約半年、準備期間を含めると1年はかかったという。
公開後
1954年に公開。広告では「日本語で喋りまくり唄いまくる⋯⋯誰でも判る」とのキャッチコピーが銘打たれた[38]。
大映洋画部の富永政美は、公開前に「ディズニー・クラブ」というファンクラブを通じアンケートをとった際、「日本語にしたらディズニー映画独特の素晴らしい歌や台詞が台無しになってしまう」「日本語版ができれば子供は勿論、大人にも今までよりずっと判りやすくなる」など賛否両論で心配したが、試写会で鑑賞したところ「あらゆる危惧を一ぺんに吹き飛ばしてしまう様なすばらしさ」で安心したといい、同クラブの会報にて「反対した人は勿論、賛成した人もディズニー映画がこれほど鮮やかに日本語で喋りまくり唄いまくるとは想像だに出来なかったに違いありません(中略)日本語版は英語版に比べて些かも引け目を感じぬどころか、やはり日本人である私達には一層楽しめるという事をディズニー・ファンの名誉にかけてお約束できると思います」とコメントした[38]。
朝日新聞では「まあ中程度の出来上がり、劇映画では問題の日本語発声版も、漫画映画では何とか成功したといえる段階に達した」と評した[38]。
映画評論家からは概ね好評であった。野口久光は『キネマ旬報』にて、コウノトリ役の三木鶏郎、ティモシー役の坊屋三郎が適役好演であるほか、三木の仕事振りを認め「日本語版は最初の試みとしてまず満足すべき出来であると思う」と評した。また、清水晶は「日本語が生み出す爆笑の渦は字幕スーパーでは到底望めない効果」「多くの子供達が、漫画映画を、父兄から説明されて見るのではなしに、自分だけでちゃんと理解出来る喜びに湧きかえっている」と述べ、「色々意見もあろうが、初めての試みとしては、その成功を祝福してもいいと思う」と評した[38]。
最終的にこの吹き替えは成功を収め、以降のディズニー作品は吹き替え公開が主流となった。また、田村幸彦や高瀬鎮夫、三木鶏郎など多くのスタッフはその後もしばらく、ディズニー・アニメーションの吹き替え製作に続投することとなった。
評価
公開時、『ダンボ』はそのアニメーションと脚本が広く称賛された[39]。
バラエティ誌は「楽しい小さな物語、たっぷりのユーモアとたっぷりの哀愁、魅力的な新しい動物キャラクターの数々、たくさんの良い音楽、そしていつものディズニーらしい描写と色使いの技術の巧みさ」と評した[40]。
ニューヨーク・タイムズ紙のボズリー・クロウザーは、「映画の上映時間は1時間に抑えている。これは幼い子供たちにとって素晴らしい配慮であり、ホラー要素を一切織り込んでいないことは、多くの人にとって朗報だろう。しかし、一つだけ確実に提起されている問題は、冒頭でコウノトリの大群がサーカスの動物たちに赤ちゃんを届けるシーンだ。現代の親たちは、この現象を説明するのが難しいと感じるだろう」「色彩の素晴らしさ、音楽の素晴らしさ、ストーリーの巧妙な構成、そしてアニメーションの完璧さは、言うまでもない」などと記し「ウォルト・ディズニーの驚異的な才能を持つアーティストたちの魔法の筆から生まれた、最も温かく、最も愛らしく、最も完璧に貴重な長編アニメ映画」と評した[41]。
タイム誌は「『ダンボ』の色彩は、物語や登場人物と同様に柔らかく控えめで、絵葉書のような色彩や複雑なディテールがなく、これは大きな技術的進歩である。しかし、『ダンボ』の魅力は、ウォルト・ディズニーがすべての王者である、人間に近い動物界を再び生き生きと描き出している点にある」と評した[42]。また、1941年12月29日号では、同誌が毎年選ぶ「マン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」をもじった「マーマル・オブ・ザ・イヤー(今年の哺乳類)」としてダンボを掲載した(当初は12月8日号に掲載予定だったが、前日に発生した真珠湾攻撃の影響で延期となり、当該号はフランクリン・ルーズベルト米大統領に変更された[43]。)。
再評価
後年になると、黒人に対するステレオタイプな描写が批判されるようになり、『アメリカ映画における人種差別百科事典』(2018年)は、「サーカスの労働者は全員アフリカ系アメリカ人であり、映画全体で黒人がまとまって登場するのはこの作品だけだ」と述べている[44]。その一方で、作品自体の高い評価は変わらず、映画評論家のレナード・マルティンは『ダンボ』を「ウォルト・ディズニーの最も魅力的なアニメーション映画の一つ」としている[45]。
2011年には、タイム誌のリチャード・コーリスが本作を「史上最高のアニメーション映画25選」に選んだ[46]。
映画批評サイトのRotten Tomatoesでは、44件のレビューに基づき、95%の支持率、平均点は10点満点中8.3点となっており、「『ダンボ』は短い上映時間の中に、ディズニーの名作に期待される温かみのあるアニメーションと素晴らしい音楽に加え、豊富なストーリーを詰め込んでいる」と総括されている[47]。
カラスに対する評価
映画評論家のリチャード・シッケルは1968年の著書の中で、映画に登場するカラスの群れがアフリカ系アメリカ人のステレオタイプであると主張した[48]。
カラスのリーダー格の声を担当した白人のクリフ・エドワーズは南アフリカ方言を用いて演じているほか、「ジム・クロウ」という名前(作中には登場しない)は、南北戦争以前のミンストレル・ショーのキャラクターにちなんで名付けられた[49]。なお、この「ジム・クロウ」という名前はアフリカ系アメリカ人に対する蔑称として使われるようになり、当時存在した人種差別的内容を含む法律・ジム・クロウ法を指すことが多く、1950年代には論争を避けるため、キャラクターの名前が「ダンディ・クロウ」に変更された[1][50][51]。なお、他のカラスは、黒人俳優のジェームズ・バスケットやニック・スチュワートのほか、黒人で構成された「ホール・ジョンソン合唱団」が演じた。
カラスのチーフアニメーターであるウォード・キンボールは、有名なアフリカ系アメリカ人ダンサーのフレディとユージン・ジャクソンをキャラクターを参考にしたと明かすほか、カラスの性格や癖、特にテンポの速いやり取りは、キャブ・キャロウェイとルイ・アームストロングのレコードにある相槌からインスピレーションを得たという[12]。
そのキャラクターは批判の的となる一方、賞賛する声もある。アニメーション研究科のジョン・ケインメーカーは、カラスがダンボの苦境に共感する数少ないキャラクターで「彼ら自身も社会的に周縁化された民族であるため、ダンボを同じ追放者として理解できるのだ」と評し、「(カラスは)映画全体の中で最も知的、最も幸せであり、最も自由な精神を持ったキャラクターだ」と付け加えた[12]。1980年に映画評論家のマイケル・ウィルミントンはカラスを「父親のような存在」と呼び、「明らかにプロレタリア黒人のパロディ」と評したが、「最も機敏、活発で、まとまったキャラクターだ。彼らはタフで寛大で、誰にも屈しない。そしてもちろん、ダンボに飛ぶことを教えるのも彼らだ」とコメントしている[52]。
女優のウーピー・ゴールドバーグは2017年に「ディズニーはカラスのキャラクターをもっとグッズ化してほしい」と述べ、「あのカラスは『ダンボ』で誰もが覚えている歌を歌っている」と語った[53]。1950年代にディズニー・スタジオに雇われた最初のアフリカ系アメリカ人アニメーターであるフロイド・ノーマンは、2019年に「Black Crows and Other PC Nonsense(黒いカラスとその他のPCナンセンス)」と題した記事で、カラスを擁護した[54][55]。
2019年、本作がDisney+で配信されることとなった際、カラスをカットした編集版で配信されると報じられた[56]。最終的には無修正での配信に落ち着いたが、概要欄には「時代遅れの文化的描写が含まれている可能性があります」という注意書きが書かれた[57][58]。2021年には、カラスの描写が「人種差別的なミンストレル・ショー」に似ていることを理由に、7歳以下の視聴には視聴制限が設けられるようになった[59]。
受賞・ノミネート
| 賞 | 部門 | 対象 | 結果 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| アカデミー賞 | ミュージカル音楽賞 | フランク・チャーチル オリヴァー・ウォレス | 受賞 | [60] |
| 歌曲賞 | 「私の赤ちゃん」 フランク・チャーチル ネッド・ワシントン | ノミネート | ||
| カンヌ国際映画祭 | アニメーション賞 | ベン・シャープスティーン | 受賞 | [61] |
| ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 | 作品賞・トップ10 | N/A | 5位 | [62] |
その他
リメイク
実写リメイク映画が2019年に公開された。