2026年ミナブ学校空爆
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| 2026年ミナブ学校空爆 | |
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| 2026年イスラエルとアメリカ合衆国によるイラン攻撃中 | |
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攻撃直後の学校の様子。 | |
| 場所 |
シャジャレ・タイエベ小学校 |
| 座標 | 北緯27度6分35.4秒 東経57度5分05.1秒 / 北緯27.109833度 東経57.084750度 |
| 日付 |
2026年2月28日 10:23 - 10:45 a.m. IRST (UTC+3:30) |
| 攻撃手段 | ミサイル攻撃 |
| 死亡者 | 175 - 180+ |
| 負傷者 | 95 |
| 被告人 |
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2026年ミナブ学校空爆(2026ねん ミナブがっこうくうばく)は、イスラエルとアメリカ合衆国によるイランへの攻撃が開始された2026年2月28日、イラン南部ミナブにある女子小学校シャジャレ・タイエベ小学校がミサイル攻撃を受けた事件。イランメディアによると、この攻撃で168-180人が殺害され、そのほとんどが児童である[4][5][6][7]。3月5日の時点で、この2026年イラン戦争において最も多くの民間人の犠牲を出した攻撃である[8][9][1]。
The New York TimesやCBC、NPRほかによる調査では、米国による攻撃の可能性が高いと結論付けられた。米軍の内部調査の関係者複数も、ロイター通信に対し同様に、この攻撃が米国によって行われた可能性が高いとしながらも、最終の結論にはまだ達していないと語った[10]。イラン政府やユネスコ[11][12]、その他国際人権団体などは国際人道法に違反するとして非難している。
2026年のはじめ、オマーンの仲介によるイランと米国の交渉が行われているなかで、米国はイラン周辺での軍事力増強を進めた。そして2月28日、イランに対するイスラエルと米国の攻撃が始まった[13]。
地元住民によると、シャジャレ・タイエべ小学校は女子小学校に転用される前、軍事施設であった[14]。攻撃当時、イスラム革命防衛隊(IRGC)海軍施設に近接していた[15]。衛生画像からは、同校の建物は当初IRGC施設の塀の内側に位置していたが、2016年9月までにそれを分離する壁が建設され、公道に面する入り口も複数新設されたことがわかっている[8][15]。アルジャジーラは学校が「軍事施設から分離され、10年以上前から明らかに民間の施設となっていた」と報じている[15]。
ガーディアンは学校が軍事目的に使用されていた兆候はないとし、隣接する建物は診療所と薬局であったと報じた[9]。診療所も2022年から2023年の間に、学校と同様、壁で囲んで軍事基地から分離された[3]。地元の教育当局者や子が犠牲となった母親が攻撃後に語ったところによると、基地はおよそ15年前に閉鎖され、軍人もすべて移転していたが、学校は存続した[16]。
攻撃
2026年2月28日、10:23から10:45 a.m. IRSTの間に[15][17]、シャジャレ・タイエべ小学校がミサイル攻撃を受けた[18][19]。国全体で学校を閉鎖するという発表より15分ほど早く、イランへの攻撃が始まった直後の午前10時ごろに、同校は閉鎖が決定されたとみられている。渋滞や距離の問題で、多くの親が空爆が着弾する前に学校にたどり着くことができなかった。学校の校長や教職員は子どもたちを外に避難させるために、校内に残っていた[20][21]。
人権団体Hengawによれば攻撃当時の学校内に約170人、イラン教育省によれば264人の児童がおり[22][16]、そのほとんどが7歳から12歳の女子児童だった[23]。中にいた数十人が即死した[9]。壁が破壊され、屋根が崩れ落ちて人々が下敷きとなった[17][24][23]。爆発で2階建ての校舎の少なくとも半分が破壊された[8]。
赤新月社の医療従事者2名と犠牲者の親がミドル・イースト・アイに証言したことによれば、最初の攻撃に続いて「ダブルタップ」攻撃があった[25][26]。医療従事者のうち1人は、1回目の攻撃を受けて、校長が児童の集団を祈祷室に移し、保護者に連絡して子どもたちを迎えに来るよう頼んだが、その場所が2回目の攻撃を受けて避難していたほとんどが殺されたと詳しく証言した。親の証言も、最初の攻撃を知らせる学校からの電話があり、その際には娘は生きていたが、学校に到着する前に学校が再び攻撃されて娘が亡くなったというものだった[26]。ミナブの市長やイラン教育省は学校が3度にわたって攻撃されたとしている[16]。BBC Verifyによる分析では複数のミサイルに攻撃されたことが示唆されている[27]。
死傷者
余波
葬儀
3月3日、イランはミナブの公共広場で、この攻撃で殺された子ども達の集団葬儀を執り行い、数千人の弔問客が参加した[30][31]。掘削機が集団埋葬地で百かそれ以上の墓を用意する様子が写真に写っており、その後犠牲者の棺を埋葬地に運ぶ行列の弔問客で埋め尽くされた[32][16]。
調査
11日、ニューヨーク・タイムズは米軍の予備調査で、自軍の過失が原因の誤爆だったと結論付けられたと報じた。誤爆に至る主な原因は古い地図データを使用したことであり、このデータでは今回攻撃された学校が軍事施設に分類されていた。使用された兵器はトマホークであった[33]。17日時点で、国連による調査も進行中である[34]。
デマ
攻撃の後、イスラエルとイランの君主制支持の反体制派が、IRGCの迎撃失敗による被害であるという情報を拡散した。関連するテレグラムのチャンネルから発信された主張で、既に否定されている[35][15]。また、Xにおいて、IRGCがミサイル空爆で誤って学校を破壊したことを認めたという主張がなされたが、イラン政府からはそのような声明は一切出されていない[36]。他のソーシャルメディアアカウントは映像がパキスタンで撮影された古いものだろうと主張したが、これも否定されている[9]。