Essjay騒動
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Essjay 騒動(エスジェイそうどう)とは、2007年2月に英語版ウィキペディアで発生した騒動。英語版ウィキペディアの有力な管理者で、ジミー・ウェールズの運営する会社ウィキアの有給コミュニティマネージャーでもあった Essjay(のちに本名はライアン・ジョーダンであると自ら明かした)がウィキペディアの利用者ページ、ならびに『ザ・ニューヨーカー』誌のためのステイシー・シフによる電話インタビューにおいて学歴詐称ならびに職歴詐称を行っていたことが発覚した[12][13][14]。
この騒動は単にEssjayが人格や経歴を詐称していたという問題にとどまらず、ウィキペディア(およびその方針と信頼性)自体への疑いを招き、またEssjayに与えられたような権限・支持・雇用などの決定の妥当性にも疑いを招いた。
Essjay騒動で明らかになった事実への反応はさまざまであり、オンライン・印刷・放送など各種媒体に亙った[10]。ウィキペディアのコミュニティでは、Essjayの過去の編集を精査して誤りがないかの確認が進められる一方で、個人の同定のよりよい方法について議論が行われた。ウィキペディアの編集者としてはEssjayはあまり記事を編集しておらず、むしろ荒らし行為について指摘したり編集上の争いを解決することに多くの時間を割いていた[7][15]。
ウィキメディアの共同設立者[16] ジミー・ウェールズは当初はEssjayがペルソナを用いていたことを擁護し、「偽名の一種であると考えるし、私としてはまったく問題ない」と述べていた[17]。後になってウェールズはこの見解を撤回、Essjayに対してウィキペディアの権限を返上しウィキアの職を辞するよう要求した[7][17]。この撤回の理由についてウェールズは、「Essjayが偽の経歴を内容に関する紛争において利用していた」とわかったからだと述べている[18]。
正体の暴露

ピューリッツァー賞受賞歴をもつジャーナリストステイシー・シフは、ウィキメディア財団のあるメンバーからの推薦を受け、『ザ・ニューヨーカー』のウィキペディアに関する記事("Know It All" 2006年7月31日)の取材のためにEssjayにインタビューを行った。『ニューヨーカー』誌によれば、Essjayは「ウィキペディアの管理者としての仕事について語るのには積極的だったが、利用者ページに記載した経歴以上には自身を同定することを避けた。」[19]
インタビューの中でジョーダンは『ニューヨーカー』誌に対して、それまでウィキペディアの利用者ページに掲載していたとおり、神学と教会法の博士号所有者であり某私立大学のテニュアの教授であると自称していた[1]。しかし後に明らかになったところによると、彼は24歳のコミュニティカレッジ中退者であり、学位は何も持っていなかった[20]。『ニューヨーカー』誌は2007年2月に訂正記事を出し、それによってこの事件は広い社会的注目を浴びるようになった[12] 。
『ニューヨーカー』誌の記事では、2つの博士号を所有していることについて触れたうえで、Essjayは一日あたり14時間程度かそれ以上ウィキペディアに割きつつも、同僚や友人にオンラインの生活について知られないように慎重であると述べられている。Essjayはしばしば講義にラップトップを持ち込み、小テストの間にはウィキペディアでの問題を解決できるようにしていると描かれた。また、サイバーストーキングを避けるために匿名が守られることを強く主張した[12]。
またEssjayは彼の肩書きを使用して現実世界の大学教授に電子メールを送り、ウィキペディアの正確性を保証したことがある。このメールの中でEssjayは、「私はオンライン百科事典プロジェクトウィキペディアの管理者です。私はまた神学の終身教授です。私のバックグラウンドと資格についてはどうぞ私のウィキペディアの利用者ページをご覧になってください」と述べている[21] [14]。
2007年1月にウィキアに雇われると、Essjayはウィキアのプロフィールページを変更し、「私が本当は誰なのか白状します」("came clean on who he really was")として、自分はライアン・ジョーダン(Ryan Jordan)であるとした[22][23][24][25][26]。これに対し他のウィキペディアの利用者は、新しいウィキアのプロフィールとそれまでウィキペディアで公表されていた経歴との齟齬について、ウィキペディアの会話ページで質問した[3][27]。最初の質問に対しては、Essjayは丁寧な返答を行い、以下のように述べた。
| 「 | ウィキペディアや他のウィキメディアプロジェクトの上には、荒らしやストーカー、精神病質者が数多くうろついていて、攻撃、ストーキング、あるいはその人の人生を破壊できるような人はいないか探しています(ここでの行いのせいで逮捕された人も何人かいます)……身元の特定につながるようなことを何かちょっともらせば、ストーカーたちはあなたを探し出します……私は自分自身でいること、決して自分の性格を隠さず、常に私であり続ける一方で、たいしたことではないと思われること、年齢、居住地、職業など、についてはディスインフォメーションを用いることにしたのです……[3] | 」 |
後になってEssjayはウィキペディアの利用者ページに、「うまく役を演じて」("doing a good job playing the part")シフをだましたとも述べている[14]。
これをうけて、社会運動家でウィキペディアを批評しているダニエル・ブラント(Daniel Brandt)は、『ニューヨーカー』誌に経歴の矛盾を報告した[2]。2007年2月末に『ニューヨーカー』誌は Essjay が後になって自らの名をライアン・ジョーダンだと明らかにしたことなどに触れた訂正文とともに記事をアップデートした。この訂正文では「現時点ではEssjayは実名がライアン・ジョーダンだと述べ、24歳で高等教育の学位は所有しておらず、教職についたことはないと述べている」とした[28]。
2007年3月3日になり、香港大学の助教授で技術ジャーナリズムの主任およびメディア研究センター主任を兼任するアンドリュー・リー(Andrew Lih)[29]はそのブログ上で、この問題に対するEssjayのコメントの中には『ニューヨーカー』誌記事の執筆者ステイシー・シフに対して「中傷および名誉棄損の強い疑い」("the dangerous domain of defamation and libel")があると述べた。リーの引用によれば、Essjayはウィキペディアの利用者会話ページに「しかも、彼女[シフ]は私の時間の見返りとしていくつかの提案をしたのですが、私はそれに対して、もし本当にそうしたいと思うのなら、代わりに財団に寄付してください、と返しました」と記していた[30]。リーはこれに対して以下のようにコメントしている。
| 「 | これはジャーナリストにとってもっとも深刻な告発にあたる。情報源に見返りを渡すことは、印刷ジャーナリズムの慣習では決してしてはいけないことだ。これを見てすぐに、ステイシー・シフを、ピューリッツァー賞受賞者で『ザ・ニューヨーカー』に執筆している彼女に対してこんな過ちを告発するなんて、まったく信じられないと思った。シフ女史の倫理に深刻な問題があるのか、Essjayの言葉にまた一つ怪しいものが加わったのか。[31] | 」 |
リーはまた、シフに連絡をとってEssjayに時間の見返りに支払いをするといったのか尋ねたと記し、これに対する彼女の返信メールを引用した。このメールでシフは、Essjayの主張は「まったくのでたらめ」("complete nonsense")だと述べた[32]。


