SN (航空機)
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- 用途:戦闘機
- 設計者:OKB-155 (ミコヤン・グレヴィッチ設計局)
- 製造者:
- 初飛行:1953年
- 生産数:1機
- 運用状況:不採用
«SN» (製品SN / ロシア語:Изделие СН) は、ソビエト連邦のミコヤン・グレヴィッチ設計局が試作した戦闘機である。MiG-17の派生型で、可動式航空機関砲を機首に搭載していたが、射撃の反動によって正確な射撃ができない問題が解決できず、不採用となった。
«SU»
ミコヤン・グレヴィッチ設計局(以下、ミグ設計局)では1949年頃より可動式航空機関砲の研究を行っていた[1]。機首の機関砲の仰俯角をコントロールすることができれば、自機と高度が異なる目標に対して機首を向けなくても射撃ができたり、水平飛行をしながら砲を下に向けて地上掃射したりできると考えられた[2]。
ミグ設計局では可動式航空機関砲を試すため、1機のMiG-15(製造番号109035、機体番号935)を改造した[1]。機首下面に搭載したのはシュピタルヌイ設計局のSh-3 23mm機関砲 2門を改修したV-1-25-Sh-3と呼ばれるシステムで、俯仰角は上11度・下7度だった[1][3]。この機体は«SU» (製品SU / Изделие СУ) と称され、1951年1月2日に初飛行した[4]。
«SU»は3月27日まで工場試験が行われた後、6月30日からは空軍飛行研究所(NII VVS)による試験に移行し、8月10日までテストされた[1]。試験結果は良好で、接近戦における有用性、特に正面攻撃(ヘッドオン)を行う際に衝突の危険を低減させる効果が期待された[1]。照準システムは複雑だが、平均的な練度のパイロットであれば20-25回の飛行で射撃法を習得できると考えられた[5]。
一方で«SU»の俯仰角の狭さが欠点とされ、NII VVSはシステムの更なる改良を求めた[1]。
«SN»
«SU»によって可動式航空機関砲の可能性を見出した空軍とミグ設計局は、MiG-15の発展型であるMiG-17を開発する傍らで、同機をベースにした可動式航空機関砲搭載機の検討も行うことにした[6]。
«SN» (製品SN / Изделие СН) と命名された試作機は主翼や尾翼といった機体の大部分(フレーム13より後部)はMiG-17と同一の設計だったが、可動式航空機関砲のシステムを搭載するために機首の構造が大幅に変更されていた[7][6]。機首に機関砲とシステムを搭載する関係から、エアインテークは機首から胴体左右の側面に移された[8]。エアインテークを機首から胴体側面に変更するのもミグ設計局では初の試みだった[9]。吸気口は円形で、胴体側を窪ませていた[6]。
«SN»に搭載された可動式航空機関砲はトゥーラ機械設計局が開発したSV-25で[7]、砲を上下に動かすために機首の左右2ヶ所に溝が設けられていた[10]。機関砲はTKB-495(後のAM-23)23 mm機関砲で、溝の左側に2門、右側に1門と非対称に装備した[11]。可動範囲は上27.26度・下9.48度と、«SU»の課題だった俯仰角の狭さが改善されている[10]。機関砲ユニットの重量は821 kg(SV-25が469 kg、その他弾薬などが352 kg)もあり[11]、これを機首に搭載することで重心が前に傾くことから、対策として後部胴体の第三燃料タンクを拡張してバランスを取っている[7][6]。
«SN»の試作機は1953年7月20日に完成し[12]、ゲオルギー・モソロフの操縦による試験飛行は同年半ば頃より開始された[13]。1954年2月15日からはNII VVSに移管され、A・ソロドフニコフが操縦した[7]。なお、SV-25自体の試験はIl-28を改造したテストベッド機でも実施されていた。計130回行われたSV-25のテストの大部分は同機によるものであり、«SN»でのテストはわずか3回であった[11]。
試験の結果、«SN»の可動式航空機関砲は砲を上下に傾けた状態で発射すると、その反動で機首下げや機首上げが発生するという、重大な欠陥を抱えていることが判明した[12]。これは機関砲ユニットを機体重心から離れた機首の先端に配置したことが原因だった[13]。そのため砲を斜めにした状態での正確な射撃は困難であり、仰角10度以上での使用は事実上不可能と判断された[12]。
また、MiG-17から変更された機首周りの設計自体も性能低下をもたらした。空中機動性能はMiG-17よりも劣り、最高速度も60 km/h低下、高度10,000 mまで達する上昇力もMiG-17より1.5分遅く、実用上昇限度も500 m低くなった[11]。新設計のエアインテークもサージングの原因となっていた[12]。
これらの諸問題を抱えていたことから、«SN»の開発は中止となった[11]。ミグ設計局では開発中止後も可動式航空機関砲を重心近くに配置できないかを検討したりするなど、同システムの可能性を模索した[7]。それは超音速機の時代まで続き、超音速戦闘機に可動式航空機関砲を装備することも計画していたが、それが実機製作の段階に進むことはなかった[8]。
