アンソニー・ゴバート

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アンソニー・ゴバート
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1975-03-05) 1975年3月5日
オーストラリアの旗 オーストラリア
グリーンエーカー英語版
死亡年月日 2024年1月17日(2024-01-17)(48歳没)
オーストラリアの旗 オーストラリア
ゴールドコースト
レースでの経歴
ロードレース世界選手権
活動期間1997年, 1999年 - 2000年
チームスズキ, MuZ-Weber, モデナス
チャンピオン0
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
13 0 0 0 0 51
スーパーバイク世界選手権
活動期間1994年-1996年, 1999年-2000年, 2006年
マニファクチャラーホンダ, カワサキ, ビモータ, ヤマハ, スズキ
2006年 順位N/C
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
57 8 16 2 2 504
スーパースポーツ世界選手権
活動期間2006年
マニファクチャラーヤマハ
2006年 順位35位 (4 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
2 0 0 0 0 3

アンソニー・スティーブン・ゴバート(Anthony Stephen Gobert, 1975年3月5日 - 2024年1月17日)は、オーストラリアの元オートバイレーサー。

スーパーバイク/スーパースポーツ

10代の頃にモトクロスレーサーとして成功し、オーストラリアのナショナルクラスで優勝を飾った後、ロードレースに転向。オーストラリア・スーパーバイク選手権でシリーズチャンピオンを獲得する[1]1994年スーパーバイク世界選手権最終戦(フィリップ・アイランド)でワイルドカード参戦しポールポジションを獲得すると、レース1で3位、レース2で優勝を記録した[1]1995年よりマジー・カワサキと契約し、ス―パーバイク世界選手権へのフル参戦を開始。スコット・ラッセルがWGP参戦のため離脱した後にはチームのエースライダーとなった。第7戦(ラグナ・セカ)と最終戦(フィリップ・アイランド)で勝利し、ランキング4位を記録[2]。同年は7月の鈴鹿8時間耐久ロードレースにカワサキ・ワークスのエースチームである『ラッキーストライク・カワサキ』1号車のライダーとしても起用され、全日本チャンピオンの北川圭一とのコンビでポールポジションからスタート、13位で完走した[3]

1996年には第8戦(セントゥール)を前に負傷し4戦欠場したが、優勝3回・表彰台圏内6回でランキング8位で終えた。同年7月の鈴鹿8時間耐久では、前年に続きカワサキ・ワークスから参戦。サイモン・クラファーとのコンビでZX-7RRを2位表彰台に導いた[4]

1997年のスズキ・ワークスでのWGP500参戦を経て(後述)、1998年・1999年はヴァンス&ハインズ・ドゥカティからAMAスーパーバイク選手権に参戦。SBK第8戦(ラグナ・セカ)にワイルドカード参戦しレース1で優勝[5]

2000年ビモータからSBKに復帰[6]。雨に見舞われた第2戦(フィリップ・アイランド)で優勝を飾るなど好成績を収めたが、資金難によりチームは解散した。シーズン後半にヴァージン・モービル・ヤマハ・チームからスティーブ・ヒスロップ英語版の代役としてブリティッシュスーパーバイク選手権に出場した[7]

2001年、ヤマハからAMAスーパーバイク選手権に復帰し、スーパーバイククラスではYZF-R7、スーパースポーツクラスではYZF-R6と2年間参戦[7]2006年初めに負傷したダビド・チェカに代わってスーパースポーツ世界選手権2戦出場した[8]。2007年、カワサキからオーストラリアスーパーバイク選手権に復帰[7]

ロードレース世界選手権

1997年、スズキのファクトリーチームである「ラッキーストライク・スズキ」に抜擢され、ダリル・ビーティーのチームメイトとしてロードレース世界選手権500ccクラス(現:MotoGP)へのレギュラー参戦が決まる。第5戦オーストリアGPでは最高位となる7位入賞を記録していたが、第12戦チェコGP後の薬物検査(ドーピングチェック)に合格しなかったため、シーズン途中であったが即時に契約を解除された[9]

1999年終盤にはMuZ-Weberからスポット参戦。

2000年にはモデナスから第9戦イギリスグランプリにスポット参戦した。

人物

愛称は「The Go Show(ザ・ゴー・ショー)」で[10]、1994年最終戦で優勝し、19歳で当時のスーパースポーツ世界選手権史上最年少優勝者となったが、1996年第9戦(菅生)で武田雄一が18歳で優勝し記録を更新された。

クーリエ・メイルの報道によると、2008年5月13日にサーファーズ・パラダイスコールズ・スーパーマーケット英語版で70歳の男性から20ドル札2枚を奪い、翌日には女性のハンドバッグを盗んだとして、窃盗罪2件で起訴された。ゴバートはパスポートの提出と週5回警察に出頭し、サーファーズ・パラダイス中心部に立ち寄らないことを条件に保釈された[11]

2019年6月にゴバートはレストランで口論に巻き込まれたと報じられ、その後、以前ゴバートと口論していた複数の人物に自宅まで尾行され、自宅に押し入られた際に野球バットで殴打され、容貌が分からなくなるほどの暴行を受けた。病院の職員はゴバートが意識を取り戻した後にようやく身元確認が取れたという[10]

死去

レース戦績

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