イゼール県
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| イゼール県 Isère | |
|---|---|
|
イゼール県旗 イゼール県章 | |
| 位置 | |
| 概要 | |
| 県番号 | 38 |
| 地域圏 |
|
| 県庁所在地 | グルノーブル |
| 郡庁所在地 |
ラ・トゥール=デュ=パン ヴィエンヌ |
| 郡 | 3 |
| 小郡 | 58 |
| コミューン | 533 |
| 県議会議長 |
ジャン=ピエール・バルビエ LR |
| 統計 | |
| 人口 国内16位 |
(2011年) 1,215,212人 |
| 人口密度 | 164人/km2 |
| 面積¹ | 7,431 km2 |
| ¹ 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。 | |
イゼール県(イゼールけん、フランス語: Isère フランス語発音: [izɛʁ]; アルピタン語: Isera; オック語: Isèra オック語発音: [iˈsɛɾa])は、フランスのオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏の県である。名称は、ローヌ川左岸に合流する支流、イゼール川に由来する。
イゼールという名詞の起源は、異なる起源を持つ可能性があるため、明確に識別されていない。
- ケルト語のIsarは鉄を意味する。先史時代にイゼール川の土手沿いでおそらく豊富であった鉄鉱石を指す。
- ガリア語のIsaraは、衝動的、迅速であることを意味する。合流するまでは、アルプス山脈から流れ出る河川の流量が多く速いことを物語る。シュヴリル・ダムは1953年から稼動している。
この川の名前はヨーロッパ各地で見つけられる。バイエルンのIsar、フランドルのYser、そしてオワーズ川(カエサル時代にIsaraと呼ばれた)である。
名称がケルト語起源であることは証明されていない。なぜならば、ケルト文化の影響を受けていない地域でもこの川の名称を見つけることができるからである。
イゼール県は地域圏内で最大の面積を持つ県であり、人口では第2位である。
歴史
地理
県は、ローヌ県、メトロポール・ド・リヨン、アン県、サヴォワ県、オート=アルプ県、ドローム県、アルデシュ県、ロワール県と接する。
県はいくつかの地方が混ざり合う。
- テール・フロワド - 北部。ジュラ山脈のふもと、ローヌ川沿いのクレミューの石灰岩質の台地。
- ローヌ川谷 - 西部。中央高地のふもと
- ビエーヴル平野、シャンバラン、ペイ・ド・ヴァロワール、ペイ・ヴァロワネ - グルノーブルとリヨンの中間
- シャルトルーズ山地 - 中東部
- グレシヴォーダン谷 - 中央部。南北の軸となっている。グルノーブルからシャンベリーにつながるアルプスの回廊
- イゼール左岸
イゼール県は南部の県と同様に、大陸性気候、高山気候、地中海性気候、西岸海洋性気候の各気候の影響を受けており、標高や露出によって多様な気候となっている。
- グルノーブル
- シャムルースのスキー場
- クローゼ湖
- ムーティエを流れるイゼール川
人口統計
| 1801年 | 1831年 | 1841年 | 1851年 | 1856年 | 1861年 | 1866年 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 435.888 | 550.258 | 588.660 | 603.497 | 576.637 | 577.748 | 581.386 |
| 1872年 | 1876年 | 1881年 | 1886年 | 1891年 | 1896年 | 1901年 |
| 575.784 | 581.099 | 580.271 | 581.680 | 572.145 | 568.933 | 568.693 |
| 1906年 | 1911年 | 1921年 | 1926年 | 1931年 | 1936年 | 1946年 |
| 562.315 | 555.911 | 525.522 | 558.079 | 584.017 | 572.742 | 574.019 |
| 1954年 | 1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 |
| 626.116 | 729.789 | 768.490 | 860.339 | 936.771 | 1.016.228 | 1.094.006 |
イギリス人コミュニティー
イゼールには大きなイギリス人コミュニティーがある。主としてグレシヴォーダン谷に移転してきた国際企業ヒューレット・パッカード、キャタピラー、STマイクロエレクトロニクスで働く幹部たちが属する。
イタリア人コミュニティー
第二次世界大戦後、職を探しに来たイタリア人たちが大勢イゼール県に定住した。サン・ローラン地区、グルノーブルのイゼール河岸に並ぶピザ屋の文字列がその証明である。当時、彼らに委託された土地はシャルトルーズ山地の不毛な斜面だった。現在のイゼール県民の多くはイタリア語の響き、時にはイタリア国内のフランス語圏であるヴァッレ・ダオスタ(住民たちはフランス語の響きのある名を名乗るがイタリア市民である)の響きのある名を名乗っている。新移住者の流れは現在ほとんどない。