2015年3月、政府軍と反体制派組織の合同作戦司令室ファトフ軍の間でイドリブを巡り戦闘が行われた。この頃、同市には住民やシリア政府の支配を離れたイドリブ郊外からの避難民数十万人が3年にわたって身を寄せていた。ファトフ軍はこれまでの反体制派以上に高度に組織化され、また重武装化していた。ファトフ軍は政府軍による空爆を食らいながらも、約2000人の戦闘員が40輌におよぶ兵員輸送車に乗って四方から攻撃を加え、政府軍拠点を制圧したうえで市内に進入するなど、系統立った戦闘を展開した。なお、戦闘開始前からイドリブの行政機構はジスル・シュグールに移されており、このことがイドリブ陥落を早めたとする見方もある[7]。
2015年3月24日、シリア政府が統治するイドリブ攻略のために、アル=ヌスラ戦線・シャーム自由人イスラム運動など、イドリブ県で活動する複数の反体制武装勢力による合同作戦司令室「ファトフ軍」が結成された[8]。これをきっかけにシリア政府軍とファトフ軍の間でイドリブの支配権をめぐり戦闘が行われる。
『ハヤート』紙(2015年3月30日付)によると、イドリブ攻略に参加したファトフ軍戦闘員の内訳は以下の通り[9]
- ヌスラ戦線 - 1000人
- シャームの鷹旅団(アフマド・イーサー・シャイフが指導) - 1000人
- シャーム自由人イスラム運動(ハーシム・シャイフが指導) - 900人。イドリブ攻略の数ヶ月前にトルコから300万米ドル相当の最新兵器・装備が提供されたという
- その他 - 300人
これに対して、イドリブ市の防衛にあたっていたシリア軍は次のとおり[9]
3月25日、戦闘が行われファトフ軍による自爆テロが行われ、検問所が襲撃された。この時点で既にイドリブ県の大半は反体制派が支配しており、政府の支配下にあるのはイドリブ市、アリーハー、ジスル・シュグール、アブー・ズフール航空基地など6つの基地を残すのみとなっていた[10]。一方でファトフ軍の中核を担うと思われていたヌスラ戦線は独自行動をとっていることが明らかとなった[11]。26日、イドリブ周辺でファトフ軍が次々と施設を占領していった。これに対して政府軍は空爆で応戦すると同時に新たな検問所・哨所などを設置して反撃を試みた[12]。
27日、イドリブ県知事のハイルッディーン・サイイドが軍服姿で政府軍部隊を視察した。ファトフ軍は攻勢を強め、イドリブ一帯の軍検問所20カ所を制圧し、市内に侵入した。そして中心部の中央郵便局、市東部のミフラーブ交差点、国立博物館、農学部、福祉関連ビル、マアッラトミスリーン交差点、シャムラ・ガソリン・スタンド、ハール市場などを制圧した。市北東部ではバーブ・ハワー検問所を制圧し、カファルヤー町、フーア市に至る兵站路を遮断、政府軍の進行を阻止するための防御を固めた[13]。
28日、イドリブは陥落し、ファトフ軍の手に落ちた。ジハード主義者に占領された県庁所在地としては、ラッカに次いで2つ目だった。ファトフ軍は市民から歓迎されたと主張した。また、イドリブ中央刑務所にはファトフ軍兵士たちが進入し、シリア政府によって処刑された囚人たちの遺体とする写真を公表した。バッシャール・アル=アサドの写真は破られ、前大統領ハーフィズ・アル=アサドの像は破壊された[7]。
この時点でシリア政府の支配下にとどまっているのは、行政機構を移したジスル・シュグールの他、アリーハー、アブー・ズフール航空基地、マストゥーマ村の「野営キャンプ」、アレッポ県方面の「煉瓦工場」などわずかな町と施設に限られた[7]。しかし、これらの拠点も反体制派の攻勢に晒された[14]。
戦闘では、双方合わせて170人の兵士、戦闘員が死亡した。支配者の交代に伴い、イドリブから大量の避難民が市外に流出した。一方でそれまでトルコやイドリブ県各地に避難していた元住民がイドリブへ帰還した[15]。
イドリブ陥落に衝撃を受けたアサド政権では内部対立が生じたとされる。また各地で反体制派の勢いが強まり、4月の南部戦線によるダルアー県での攻勢、5月のファトフ軍によるジスル・シュグール占領、ISILによるパルミラ占領などが行われた[16]。
- ISIL
- ISIL宗教警察は、「第17師団、タブカ航空基地での勝利は近くイドリブ市にも至るだろう」と述べ、イドリブを征服する意思を示した[17]。
- シリア・ムスリム同胞団、シリア国民評議会
- シリア・ムスリム同胞団のファールーク・タイフール(シリア国民評議会副議長)は、イドリブを暫定政府の首都とする意思はないと述べ、「バッシャールの体制は慈悲というものを知らない。毎日甚大な被害をもたらし、我々は塩素ガス、樽爆弾による攻撃を目の当たりにしてきた。(現政権は)最後の呼吸をしていること、イドリブの戦いで敗北したこと、自らの敵対的行為が撤退宣言を前にした負け犬の行為でしかないことさえ認めようとしない」と批判した。その上で「自由シリア軍はアリーハー市、ジスル・シュグール市への道を進むだろう。それによってイドリブ県は完全に革命家によって掌握される」と評価した[18]。