イラツコ
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「イラツコ」は古事記および日本書紀の中では「郎子」または「郎」の字が表意文字として当てられ、次の7人の男子に用いられている。
(1)菟道稚郎子(うじのわかいらつこ)(応神天皇の子)
菟道稚郞子【日本書紀】は宇遲能和紀郞子【古事記】(うじのわきいらつこ)とも書かれ、応神天皇と宮主宅媛の子とされている。『播磨国風土記』には「宇治天皇」という表現が見られる。
(2)波多毘能大郎子(はたびのおほいらつこ)(仁徳天皇の子)
波多毘能大郎子【古事記】は仁徳天皇の大草香皇子【日本書紀】の別名とされ、大日下王【古事記】とも呼ばれている。母は日向髪長媛【日本書紀】とされている。
(3)大郎子(おほいらつこ)(若野毛二俣王の子)
意富富杼王【古事記】(おおほどのみこ)とも呼ばれる大郞子は、若野毛二俣王【古事記】と百師木伊呂弁の子とされている。また三国君、波多君、息長君、坂田酒人君、山道君、筑紫之米多君、布勢君らの祖とされている。
(4)大郎子(おほいらつこ)(継体天皇の子)
継体天皇の子とされる大郞子【古事記】は若比売(三尾君等祖)【古事記】の子とされている。
(5)嶋郎(しまのいらつこ)(仁賢天皇)
「嶋郎(しまのいらつこ)[2]」は仁賢天皇、別名:億計天皇を指し、市辺押磐皇子の子とされる。
(6)朝日郎(あさけのいらつこ)
「朝日郎(あさけのいらつこ)[3]」は雄略天皇時代に伊賀・伊勢で戦った相手の名前として記憶されている。筑紫聞物部大斧手、菟代宿禰物部目連と同世代と考えられる。
(7)君大郎(きみのおほいらつこ[4])(蘇我臣入鹿)
「君大郎[5]」は蘇我臣入鹿(別名、「鞍作臣」)を指して用いられている[6]。
イラツコの母
菟道稚郎子の母は「宮主(みやじ)宅媛」と呼ばれ和珥臣の祖「日触使主」の子とされる。「使主」は渡来系氏族に用いられるカバネで、「宮主」は新羅系の王妃に起源する言葉といわれている[7]。「宅媛」は朝鮮からの渡来系氏族に関係する可能性がある。 「大郎子」の父とされる若野毛二俣王は三国君、波多君、息長君、坂田酒人君、山道君、筑紫之米多君、布勢君らの祖とされ、三韓侵略をした神功皇后・応神天皇に関わる渡来系氏族が多い九州と越に関係が深い。もう一人の大郎子の母とされる若比売も三尾君等祖とされ越の渡来系氏族に関係する可能性がある。イラツメの一音一字の仮名としては越の「道君伊羅都賣」があり、イラツメ・イラツコの使用が越から始まっている可能性も指摘できる。