トジ

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トジ(刀自、夫人、等次)は6世紀から7世紀以来の豪族層女性の尊称の一つである[1]。「刀自」は八世紀頃からは次第に下層にも拡大していくが、平安時代後期にはほぼ姿を消す、古代的女性名である[2]

女性尊称としての「トジ」の初見は年代的には6世紀の欽明天皇時代、青海夫人勾子(まがりこ)に対して「夫人」を「おおとじ」と訓じた例である。次は敏達天皇時代に老女子(おみなご)夫人および菟名子(うなこ)夫人に対して「おほとじ」と訓じている[3]

大刀自

7世紀になると「おほとじ」に対しては「夫人」とともに「大刀自」の字も当てられるようになった。藤原鎌足の娘には氷上大刀自や大原大刀自がいた。播磨風土記には飯盛大刀自や吉川(エガワ)大刀自が見られる。「大刀自」が初見される最古の文献は『上宮聖徳法王帝説』で聖徳太子の娘に「膳大刀自」がでてくる。

イラツメ

「(オホ)トジ」尊称が初期に見られる女性たちは同時に「イラツメ」の尊称も備えている。「老女子夫人【日本書紀】」は「老女子郞女(おみなごのいらつめ)【古事記】」と呼ばれ、「菟名子夫人【日本書紀】は「小熊子郞女(おぐまこのいらつめ)【古事記】」と呼ばれている。

聖徳太子最愛の妻と言われている「膳刀自【上宮聖徳法王帝説】」は「膳大娘(かしわでいらつめ)【聖徳太子伝暦】」また「菩岐々美郎女(ほききみいらつめ)【上宮聖徳法王帝説】」と呼ばれている。また藤原鎌足の子である大原大刀自は「五百重娘(いおえのいらつめ)」とも呼ばれている。「トジ」と「イラツメ(郎女、娘)」は同時代にもちいられた女性の名称と考えられる。未婚の時は「イラツメ(娘)」、既婚後は「トジ(戸主)」と呼ばれたと考えられる。

起源

女性の名称語尾に使われた「トジ」は「イラツメ」と並んで6世紀になって突然現れ、平安後期にはほぼ姿を消す。日本列島古来の女性の名称語尾である「」が4世紀以来、「」が7世紀以来今日まで使われ続けているのと対照的である。そして「トジ」名称の代表例は渡来系の船氏王後墓誌や新羅の石碑文化を背景に持つ上野三碑である。これらは朝鮮半島からの多数の渡来人がいた時期と文化に相応している。

新羅時代の「川前里書石」の525年銘に「一利等次」という婦人名が見出される。「いりとじ(일리등차)」と発音している。これは「トジ」の名称が新羅由来であることを示唆する[4]

刀自古および古刀自

「刀自古」の名称は大阪府堺市出土の瓦(8世紀)に「百済君刀自古」が、また法隆寺の「瑜伽師地論巻」に「大原史穴児刀自古」(732年)が見出される。一方、船氏王後墓誌(668年)からは「安理故能刀自」および「阿豆古刀自」という表現が見出される。「安理故能刀自」は「安理」の子たちの内の女性という意味に解釈が可能である。すると「〜古刀自」は「〜の子たちの中の女性」、そして「〜刀自古」は「〜豪族の女性から生まれた子ら」と解釈できる。

刀自売

里刀自、家刀自、寺刀自

脚注

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