ウッドローン駅 (IRTジェローム・アベニュー線)
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ウッドローン駅ホーム南側 | |||||||
| 駅情報 | |||||||
| 住所 |
Bainbridge Avenue & Jerome Avenue Bronx, NY 10467 | ||||||
| 区 | ブロンクス区 | ||||||
| 地区 | ノーウッド | ||||||
| 座標 | 北緯40度53分10秒 西経73度52分44秒 / 北緯40.886005度 西経73.878808度座標: 北緯40度53分10秒 西経73度52分44秒 / 北緯40.886005度 西経73.878808度 | ||||||
| ディビジョン | Aディビジョン(IRT) | ||||||
| 路線 | IRTジェローム・アベニュー線 | ||||||
| 運行系統 |
4 | ||||||
| 接続 |
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| 構造 | 高架駅 | ||||||
| ホーム数 |
島式ホーム 1面(供用中) 相対式ホーム 2面(使用せず) スペイン式ホーム | ||||||
| 線路数 | 2線 | ||||||
| その他の情報 | |||||||
| 開業日 | 1918年4月15日 | ||||||
| 利用状況 | |||||||
| 乗客数 (2015) | 2,418,890[1]人 | ||||||
| 順位 | 203位(422駅中) | ||||||
| 次の停車駅 | |||||||
| 北側の隣駅 |
(終点): 4 | ||||||
| 南側の隣駅 |
モショル・パークウェイ駅 (各駅停車): 4 バーンサイド・アベニュー駅 (急行): 定期運行なし | ||||||
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Woodlawn Station (Dual System IRT) | |||||||
| 座標 | 北緯40度53分10秒 西経73度52分44秒 / 北緯40.886度 西経73.8788度 | ||||||
| 複合資産 | New York City Subway System MPS | ||||||
| NRHP登録番号 | 05000679[2] | ||||||
| NRHP指定日 | July 6, 2005 | ||||||
ウッドローン駅(Woodlawn)はニューヨーク市地下鉄IRTジェローム・アベニュー線の北側終端駅である。名前とは裏腹に、ブロンクス区ノーウッドのベインブリッジ・アベニュー - ジェローム・アベニュー交差点にある。終日4系統が停車する。
ウッドローン駅は1917年に建設され、翌年開業した。設計はアーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けたニューヨーク市地下鉄の主任建築技師スクワイア・J・ヴィッカースが担当した。ウッドローン駅の開業により、ウッドローン墓地周辺で始まっていた開発がさらに進むことになった。2005年の改修工事の後、装飾的なコンクリートの用法が評価されてアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された。この際に "Children at Play " と題したジョシー・ゴンザレス・オルブライト制作のステンドグラスのパブリックアートが展示された。
ハーレム鉄道が最初にマンハッタンと現在のウッドローン地区を結ぶ路線を開通させたのは1840年代のことであった。この路線は現在もメトロノース鉄道ハーレム線として現役であり、途中にはウッドローン駅も存在する。当時、ウッドローン周辺はブロンクス西部の大部分と同じように開発が進んでおらず農村地帯が広がっていた。1865年にウッドローン墓地が開設されるまで宅地開発も手つかずだった。ウッドローン墓地は開設当時は農村部の墓地だったが、次第に埋葬地としてよりも散歩やピクニックに手頃な公園として人気の場所になっていった。そして、墓地周辺のネイバーフッドは1890年代までには労働者階級のアイルランド系移民やイタリア系移民が多く住むようになった[3]。住民達は地下鉄建設を繰り返し陳情するようになり、インターボロー・ラピッド・トランジット社(IRT)がデュアル・コントラクトのもとで路線を延長することになった。IRTはジェローム・アベニュー線、ペラム線とホワイト・プレーンズ・ロード線を建設したが、これによりブロンクス区内の至る所で通勤にも便利な場所として宅地開発が始まった[3]。
駅の設計は地下鉄の主任建築技師であったヴィッカースが1917年に手がけた。ヴィッカースは、地下鉄の地上部が目抜き通りと交差する場所やパークウェイのような風光明媚な場所の近くを通る場合には、装飾的なコンクリートで表面を覆うべきだという信念を持っていた。これにより、駅は周辺地域でも目立つ建物となり、通りの両側の商店街と路線を繋ぐ役割を果たした。また、内装にはヴィッカースが手がけた地下鉄駅(地上・地下問わず)を特徴付ける陶製タイルの装飾が施されている。
駅は1918年4月15日に開業し、駅名はベインブリッジ・アベニューの旧名であるウッドローン・ロードにちなんで「ウッドローン駅」と名付けられた[4]が、駅のすぐ北側に正門があるウッドローン墓地にちなむとされることも多い,[5]。ウッドローン・ロードは改名されてから年月が経っているが、今日でも道路標識などにその名が残っている[4]。ウッドローンは駅が設置されたことで人口が増加した。また、ウッドローン墓地もその恩恵を受け、埋葬スペースの引き合いに応えるために営業所を設けるまでになった。ハーレムまで路線が繋がった縁で、デューク・エリントンやウィリアム・C・ハンディといった数々のハーレム・ルネサンスの大立者がウッドローン墓地に埋葬されている[6]。
1991年に乗客のジョン・マクナレー(John McNalley)が亡くなった際には、ウッドローン駅がそれが防げたのではないかという捜査の舞台となった。マクナレーは50代の男性で、6駅南のバーンサイド・アベニュー駅を過ぎたところで不調を訴えた。しかし列車は走行を続け、交通警察はフォーダム・ロード駅で通報を受けた。コ・メディカルが到着した際には、マクナレーは既に心停止で亡くなってしまっていた。交通警察は通報を受けて列車を停めるよう要請したが、メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ(MTA)の運転指令所がそれを拒否したと批判した。MTAの労働組合委員長には、緊急時には警察の求めに応じて列車を停める命令を発する権限が与えられた[7]。
2000年代中盤にはジェローム・アベニュー線の他の駅と同様に駅修繕工事が行われ、新聞スタンドが復元された。修繕工事が終わると、アメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された[8]。
オルブライトの作品は2段階に分けて展示された[9]。オルブライトはニューヨーク出身で、ニューヨーク市立大学クイーンズ校を卒業後、市内のさまざまなパブリックアートに携わった。コミュニティの日々の出来事に焦点を当てた絵画や壁画を制作している[10]。Children at Play は彼女が初めて手がけたステンドグラス作品で、彼女は制作プロセスを理解するためにフィラデルフィアのガラス工房で過ごした。彼女は制作に際して息子やその友達が遊んでいる様子を見てインスピレーションを受け、また駅の周辺の広い範囲を訪ね歩いて回った[9]。