ニューヨーク市地下鉄駅のタイル
From Wikipedia, the free encyclopedia

ニューヨーク市地下鉄の多くの駅はカラフルなセラミックの飾り版(額石)やタイルモザイクで装飾されている。これらの多くは駅の位置や名前の標識となっている。セラミックの作品の多くは、1904年10月27日に最初のニューヨーク市地下鉄が開業した時に設置されたものである。より新しい作品も毎年追加され続けている。基本的に陽気で空想的な作風となっている[1][2]。
Heins & LaFarge(1901–1907年)

最初期のセラミックの作品はHeins & LaFarge(アーティストGeorge C. HeinsとChristopher Grant LaFarge)によるもので、1901年に着手され1907年まで製作は続けられた。HeinsとLaFargeは二人とも、当時一流のステンドグラス職人であったJohn LaFargeの親戚(義理の兄弟および息子)である。彼らはアーツ・アンド・クラフツ運動の一員であり、ボザール様式のアーティストであった。これらの運動と様式は20世紀の変わり目に非常に流行した。彼らが雇われた時、彼らはちょうどニューヨークのセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂およびブロンクス動物園でのプロジェクトを終えたばかりだった。芸術的なモチーフのデザインに加えて、HeinsとLaFargeは地下鉄駅全体の外観を決定する建築の仕事の多くもこなしていた。
彼らは、全て大文字のセリフおよびサンセリフのローマン体フォントで駅名を記したタイルを張り合わせた額石をデザインした。HeinsとLaFargeは他にも駅の構内案内のタイルもデザインしている。例えば、出口 (exit) の方向や各路線の上下プラットフォームの指示標識である。各駅の名前を施した額石の周りは精巧なタイルによる縁取りが施されている[3]。
HeinsとLaFargeはどのような素材が度重なる洗浄や磨きでも長持ちするかを知っていた。彼らはセラッミク製造会社であるボストンのGrueby Faience CompanyとシンシナティのRookwood Pottery Companyと協力して制作をおこなった。
彼らのセラミック作品には、駅の場所と関わりのあるモチーフがカラフルに描画されているものもある。例えば、
- サウス・フェリー・ループス駅は、水上の帆船を描いた15のレリーフで飾られている。
- アスター・プレイス駅は、大きなセラミック製のビーバーを描いたエンブレムで飾られている。ビーバーの生皮はジョン・ジェイコブ・アスター が富を築くのに大きなビジネスとなった。
- 116丁目-コロンビア大学駅は、コロンビア大学を象徴するエンブレムのレリーフが飾られている。
地下鉄構内の彼らのレリーフは、イタリア・ルネサンスのアーティスト、アンドレア・デッラ・ロッビアの作品になぞらえれられてきた。彼らのタイル作品の多くは乗客が駅を識別するための案内標識であった。美観を与えることに加え、この視覚的な標識はニューヨーク市に多く住む非英語圏出身の旅行者や住民たちにとってもわかりやすいという効果もある。旅行者は、"ビーバーの絵が描かれている駅で降りるように"などと目印として使うことができる。絵が描かれた飾り版やセラミックの標識に加え、HeinsとLaFargeは駅の天井に沿って施されたエッグ・アンド・ダーツパターンのような装飾的なモチーフもデザインしている[3]。
壁に施されたタイル作品に加え、HeinsとLaFargeは“大きな、彩飾された、釉薬された磁器製で、白地に黒で[実際に手書きされた]標識をエクスプレス電車のプラットフォーム上に設置し、丸い鋳鉄製の柱に駅名を塗装した”[3]。
Squire Vickers(1906–1942年)
1906年、当時若手のアイティストであったSquire J. Vickersが雇われた。VickersはHeinsとLaFargeに非常に尊敬の念を示していたが、彼の作品ではモザイクがかなり多くなっており、清掃を簡単にするという理由からレリーフを用いなかった。Vickersはまた、HeinsとLaFargeが駅名を表示する額石に使用したフォントを継承したが、Vickers自身が新しく作成した額石ではその縁のタイルアートはよりシンプルなものになっている[3]。
彼の描画作品においては、HeinsとLaFargeはビーバーや帆船など歴史的シンボルを描いたのに対し、Vickersはブルックリン区庁舎 (1919) やボロー・ホール駅をカラフルに描いた作品など実際の建物をランドマークとして強調した。彼は自身の技術に関して次のように述べている:
| 「 | "...モザイクは様々な形状がちりばめられている。つまり、その本体は筋状に焼き目を入れられ、釉薬を塗られ、不規則な形に砕かれた。そのデザインは手作業で行われ、表面に紙を貼られた区画にはめ込まれた。これらの区画は壁に設置され、タイルが貼られた。幾つかの駅では彩られた帯と駅名の額石モザイクと手作りのタイルの組み合わせとなっている。" | 」 |

1930年代を通じて、Vickersはいくつかの琺瑯の標識を都市高速交通会社 (IRT) およびブルックリン=マンハッタン交通会社 (BMT) のために、Nelke SignsおよびBaltimore Enamel Companyの両社から注文した。これらの標識は、利用者がすぐに駅名を見つけられるように、桁および鋳鉄の柱の上に設置された。短縮された駅名は、凝縮された大文字のサンセリフ体で琺瑯の標識に記されている[3]。
Vickersはこの地下鉄の標識プロジェクトを1942年まで36年間続けた。
2007年の展示
2007年の年間を通じて、Heins & LaFargeとVickersの作品をそれぞれ記念する二つの展示がグランドセントラル駅にあるニューヨーク交通博物館の別館のギャラリーで催された[4]。
INDタイル
近年のタイル
施釉タイル(1950–1970年代)
1950年代までには、地下鉄車両は5車両から8–10車両と長くなった。くすんだ緑色、黄土色、そして青色で施釉されたタイルが新たに拡張された駅の壁を彩るようになった。文字は黒いサンセリフ体のフォントでタイルにプリントされている[3]。
磁器タイル(2000年代後半–現在)
IND2番街線の新駅はアート作品が埋め込まれた磁器タイルが備わることになっている[7]。
新しい34丁目駅では、白いタイルの列が三列並んだものが一組として、線路の横の壁に敷き詰められている。タイル2枚分の高さの灰色の正方形の中に白い文字で"34"'とプリントされたタイルが、白いタイルの三列の中央にはめ込まれている[8]。
サウス・フェリー駅は金属の段で分けられた白い磁器タイルが備わっている。
現在の駅の改修された新しいタイル
幾つかの地下鉄駅は新しいセラミックの飾り版およびモザイクで飾られており、見る人の目を楽しませている。
- BMTブロードウェイ線の28丁目駅には、Mark Hadjipaterasによる空想的な"City Dwellers"(街の住人)が描かれている[9]。
- IRTブロードウェイ-7番街線のハウストン・ストリート駅には、Deborah Brownによる"Platform Diving"が描かれている[10]。
- IND8番街線の81丁目-自然史博物館駅には、MTA Arts for Transit Design Teamによる"For Want of a Nail"が描かれている[11]。
- BMTブロードウェイ線のプリンス・ストリート駅には、Janet Zweigによる"Carrying On"が描かれている[12]。
- IND8番街線のカテドラル・パークウェイ-110丁目駅には、Christopher Wynterによる"Migration"が描かれている[13]。
- IRTブロードウェイ-7番街線の191丁目駅には、改修の際に元のタイルアートが再現された。