沼田郷。郡家の正西八里六十歩にある。宇乃治比古命が、「湿地の水を使って乾飯を柔らかくして(=にたに)召しあがろう」と発言なさって、その地に尓多(にた)の名をお与えになった。こういうわけなので本来は尓多の郷となるべきだが、現在の人は努多(ぬた)と言っているだけである。神亀三年に字を沼田とした。
海潮郷。郡家の正東十六里三十三歩にある。古老の伝えるところによると、宇能治比古命が御祖である須義祢命を恨んで、北方の出雲の海水を押し上げてきて、御祖の神を漂わせたところ、海水がここまで来た。ゆえに得塩(うしお)となった。神亀三年に字を海潮とした。